2031年に向かって理事対談

“復興フェーズ”から変わる
被災地支援とは
東日本大震災
から10年 ハタチ基金のこれから

東日本大震災から10年 ハタチ基金のこれから
代表理事 左から今村久美(認定NPO法人カタリバ)、能島裕介(公益社団法人チャンス・フォー・チルドレン)、
白井智子(NPO法人トイボックス創立者)、駒崎弘樹(認定NPO法人フローレンス)

東日本大震災発生時に0歳だった赤ちゃんが、無事にハタチを迎えるその日まで。
そんなコンセプトで、私たちは震災直後にハタチ基金を立ち上げ活動を続けてきました。

あれから10年、被災地支援のフェーズは年々変わってきています。
“悲しみ”や“復興”の後は、どのような被災地支援を行っていけばいいのか。
ハタチ基金の残りの活動期間10年では、どんな形で東北の子どもたちを支えていくのか。

ハタチ基金を立ち上げ、今も変わらず東北の人たちと密接に繋がりながら活動を続ける4人の理事に伺いました。

災害の規模と無力感
カオスの中で
手を取り合ったハタチ基金

皆さんは、10年前、震災直後に被災地に入り、その後すぐにハタチ基金を立ち上げました。
被災地に初めて行ったときは どんな気持ちでしたか?

今村:
震災が起きたときに、何かしなければと被災地に向かったのですが、実際に被災地の様子を見て、見たことのない災害規模で…。自分の無力さを感じ、何にもできないというのが最初に起きた感情でした。
能島:
私も現地の被災規模を見たときに、1団体で何かをやるのは無理だと感じました。
今村:
そうそう。現地で子どもたちのヒアリングをしてると、明らかに長期的な視点での支援が必要だと思ったし、1団体だけじゃ何もできないし、課題も多岐に及んでると思ったので、長期的なビジョンを共有しながら一緒にやっていくっていうチームを作らないと、自分には何もできないなって思ったので、皆さんに声をかけたんです。
駒崎:
被災状況を見たとき、「とりあえず動かなきゃ」みたいな使命感がすごく強くありました。当時NPOが共同で事業を行うみたいなことは、前例がなかったというか聞いたことがなかった中、今村さんが「みんなでやろうよ」と声を上げてくれたことが新鮮に響いたことを覚えています。
白井:
本当にそう。何をやっていいかわからず、でもとにかく何かやろうと、カオスの中で『ハタチ基金』を立ち上げて、カオスの中で馬鹿力が出たっていう感じでしたね。それぞれが、やったことない場所で新しいことを始めた。手探りでもとにかくできることをやってきて、お互い支え合いがあったからできたっていうのはすごくあると思います。

一人ひとりそれぞれが無力感を感じて、その後皆さんが結集して「馬鹿力」を出して始めた。
それが今のハタチ基金に繋がったんですね。

災害の規模と無力感カオスの中で手を取り合ったハタチ基金

10年を経て ハタチ基金だから
こそできた支援のカタチ

10年の間、それぞれの団体がアイデアを持ち寄り東北の子どもたちにできることを行ってきました。
ハタチ基金だからこそできたことってありますか?

白井:
行政の方々も頑張っていましたが、行政の支援の壁は、公平性を求められるところだとこの震災支援を通して改めて感じました。例えば、たくさん支援の申し出が来ているのに、「これは全員に平等にできないから止めます」みたいなことを目の当たりにして。本当は届けられるものがいっぱいあるのに……という歯痒さを感じました。そんなとき、私たちのようなNPOを始めとする民間だったら、その子に合わせた支援ができる。きめ細かな、ニーズに合わせた支援ができるっていうのが、民間だから、ハタチ基金だからこそできたんじゃないかなと思っています。
駒崎:
トイボックスが支援した南相馬は、当時、陸の孤島的な状況になっていって、かなり支援も逼迫していて、行政の支援も追いついていない状況が顕著でしたよね。

なるほど。行政ができないことを行えるという柔軟さが災害時は特に必要だったということですね。
20年間継続的に行うという点も、ハタチ基金の特徴ですね。

能島:
そうなんです。いつかは地域の方々が主体的に活動を継続できる状態にしないと本当の支援とは言えないので、私たちもそういう意味で20年間と決めて支援を始めました。

チャンス・フォー・チルドレンでは、被災によって家庭環境が厳しくなった子どもたちが塾などに通えるようにスタディークーポンを提供したのですが、それが今は全国の行政機関で導入されています。いわば、東北発の新しいイノベーションを生み出したと言ってもよいでしょう。災害支援の場も含めて、その有効性が認められていっているというのは、継続して支援を続けている『ハタチ基金』の成果なのかなと思っています。
駒崎:
フローレンスは、「ふくしまインドアパーク」という屋内の遊び場を震災が起きた年に作りました。当時は福島の子どもたちは放射能への不安もあって、外で遊ぶことができませんでした。インドアパークが、子どもたちにとってそういう場が必要だとわかってもらうきっかけになって、行政がもっと大規模な遊び場を税金を使って作るようになりました。継続して支援することによって、そのときの復興フェーズに合わせて支援の内容を考える。そんなこともハタチ基金の良さだと感じています。
10年を経て ハタチ基金だからこそできた支援のカタチ

ハタチ基金が目指す
これからの10年

復興のフェーズに合わせるというお話が出ましたが、
これからの10年はどんな形で支援を行いたいと考えていますか?

今村:
私は「震災の悲しみを強さに変える」こんな言葉を掲げて活動を続けてきました。カタリバは、子どもたちが成長してまた地域に戻ってくるだろうと考えながら、教育分野のアプローチを行ってきました。震災の悲しみが、その地域を新しくすることに繋がるような支援でありたいとずっと願っていました。
アプローチの一つ、「マイプロジェクト」の取り組みでは、高校生たちが自分たちで課題を見つけ、自分たちが考えたプロジェクトを通して学び、地域へ働きかけを行っていくということをします。今では東北だけでなく、全国各地の高校が学習プログラムとして取り入れることが増え、「全国高校生マイプロジェクトアワード」という発表の場には、今年は約1万人の高校生たちがエントリーしてくれました。
駒崎:
みんなが価値を感じて、全国に広がったというのは、本当にすごいことですね!
今村:
はい、今後、東北を支えるリーダーを育成したいという思いで今もやっています。

ただ、ひとつ無力感を感じるのが、東北の人口減少が異常なぐらいのスピードで進んでいることなんです。その中で、やっぱり地域の底力をどう上げていくのかっていうところが本当に大切な観点だと思っています。

国も、東北の地域に投じる復興財源をこれから減らしていくと聞いています。
自力でやっていかなくてはならないことになりますね。

今村:
そうなんです。高校生の世代がちゃんとその地域の中で、「地域にある資源を使いながら学ぶ」ということがし続けられるような形を、どう作っていくのかということに注力していこうと考えています。それが、東北を支えるリーダーを育てることに繋がっていくのです。
駒崎:
地域の方々が自ら変革を担っていって、自分たちの地域を良くしていくという当事者になる。言い換えれば、支援の客体から主体に変化していかなければいけない。それを今後10年の間で伴走していくのが我々ハタチ基金の役割ということですね。
今村:
その通りだと思います。価値が続いていくということにコミットするというのが、私たち外から来た団体に今求められてるスタンスで、しかも、そこが自己組織化し続ける。この水準でいい地域を作り続けようと思うモチベーションがある人たちが循環し続ける。「外の人が来たから一発花火を上げて帰っていく」ではない形で地域にモチベーションをどう残せるのか、支援のスタンスが問われてるなと感じています。
駒崎:
もうひとつ大切なものは、ハタチ基金をきっかけに成功したイノーベーションを、東北だけにとどまらず全国に広げていくことだと思っています。震災がきっかけで見えてきた課題は、被災地だけの問題ではないように感じたからです。例えば、おうち保育園で始めた「保育ソーシャルワーク」という取り組み。保育園がセーフティーネットとなり、保育園にソーシャルワーカーを置いて、課題を抱える親子にアプローチをしています。この10年で、仙台市で実践し、東京でも行われ、それが国の政策に反映されて、今「地域支援相談員」という形で国策化され予算も付きました。
能島:
おっしゃるとおり、東北発で全国に広がったイノベーションはたくさんありますし、今後も増やしていきたいですね。これからの被災地支援は違うステージに入っていかないといけない。この10年支援をしてきた子どもたちが、もう大人になってきている。そういった若者たちが、地域のために何かしようというときに、それをあと押しするような取り組みのようなこともやっていきたいと思っています。
白井:
ここでしかできないこと、ここだからこそできることという観点で、チャレンジをしようとする若者たちに対して、私たちも関わり続けていきたい。双方の知恵を出し合い地域の人たちとハタチ基金が一緒に支え合っていくことが、これから力を入れていきたいことです。
駒崎:
今後の10年で、我々外部の支援団体がいなくなったとしても、東北の人たちが自走して地域をよりよくさせていくことができるということを目指したいですね。少しおこがましい言い方になるかもしれませんが、地域のリーダーを育成していく。それは子どもたち自身がリーダーシップを取っていくという形もあるでしょうし、支援団体の中で初めは小規模でやっていた支援が、地域を支えるような団体となって支えていくのかもしれない。そういった人材育成に、我々がきちんとコミットしていくべきですね。

2031年に我々ハタチ基金がいなくなって
震災当初子どもたちだった若者たちがリーダーとなって新しい未来をこの地域に作っていく。
そんな形を目指して、今後10年の活動に邁進していきたいと思います。

ページの先頭へ
MENU