被災地からのメッセージ

小学校~中学校までずっと野球をしていました。 父も祖父も、いつも野球中継を見ているくらい野球が好きでその影響もあったと思います。音楽を聞くことや、星を見たりするのも好きで、流星群などが通過するときは、今でも気仙沼の夜空を見ます。地震について、小学校5年~6年の頃に、TVで宮城県沖地震の予想がされていましたが、本当にくるとは思ってもいませんでした。

震災の翌日が中学校の卒業式だったので、黒板に卒業祝いのメッセージを書いている時に揺れを感じました。机の下に潜り、しばらくして、校内でサイレンが鳴ったので、先生の指示で校庭に出ました。同級生が泣いているのが分かりました。中学校が高台にあり、親が学校へ避難してきたのですが、街中が停電して、海が燃えていたのを覚えています。中学校の体育館での避難生活を送った後、同級生のはとこの家(内陸)や、友達のいとこ(岩手県盛岡に住む)の家などを転々としました。

震災後、cfcバウチャー事業のクーポンで、通信ゼミや塾をはじめました。被災して、傷ついても前向きに頑張っている人って沢山いて、全部流されちゃった漁師さんとかが、それでもやっぱりマグロを捕り続けられるのって、やっぱり心理的な影響が大きいんじゃないかって思います。僕はみんながポジティブになれるような手助けが出来たらと思っています。今高校では軽音をやっていて、ベースを弾いているのですが、色々な人が苦労している中、支援された自分がきっかけになって、その輪を拡げていきたいと思うので、自分の将来像と立ち位置を考えながら生活しています。


宮城県気仙沼高校2年 / 春日基希 / チャンス・フォー・チルドレン