活動レポートの記事

東日本大震災と重なるコロナ禍の今 家庭からの悲痛な声に応えていく 設立10年を迎えたチャンス・フォー・チルドレン代表からのメッセージ
2021年7月21日

ハタチ基金の助成先団体である公益社団法人チャンス・フォー・チルドレン(以下、CFC)は、2021年6月20日で設立10年を迎えました。その間、被災して経済的に困難な状況に陥った家庭の子どもたちに、塾などで使えるクーポンを提供。さらには、大学生ボランティアによる進路や学習面の相談を通して子どもたちを支えてきました。

これまでの10年、そして、今後のCFCの活動において、代表理事の今井悠介氏の思いをご紹介します。


 

2021年6月20日で、法人設立から10年が経ちました。この10年間、CFCと関わってくださった全ての皆さまに心から感謝いたします。

一般的な組織であれば、10年活動を続けてこられたということは、おめでたいことかもしれません。しかし、「子どもの教育格差」の解消に取り組む私たちの場合は、複雑な心境でもあります。「10年間活動を継続している」ということは、同時に「課題が10年間存在し続けている」ということを明確に表しているためです。

特に、新型コロナウイルスの発生によって、課題はこれまで以上に深刻化しています。新型コロナの影響で多くの家庭が所得減少しており、同時に子どもたちは様々な機会を失っています。

現在CFCは、職員・ボランティア総出で、過去最大規模の緊急支援に取り組んでいます。10年をゆっくり振り返る余裕のないまま、10年の日を迎えることになりました。まさか、このような状況下で10年を迎えることになるとは、想像していませんでした。

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(写真) 大学生ボランティア

■多くの方に支えていただいた小さなスタート

10年前、CFCは東日本大震災を契機に発足しました。私たちは、前身団体(NPO法人ブレーンヒューマニティー)での経験から、放課後の多様な学びや体験・人との出会いの積み重ねが、子どもたちの人生を豊かなものにすると強く信じてきました。

そんな中、リーマンショックによる経済不況、そして東日本大震災という未曾有の災害によって、多くの家庭が経済的な打撃を受けました。
CFCは、このような状況下で子どもたちが経済的理由で学びをあきらめることがないよう、社会全体で子どもや家庭を支える仕組みを作るために、活動をスタートしました。

最初から壮大なプロジェクトのように聞こえますが、実際は震災後に仙台市内のマンションの一室を借りて、20代の若者3人が住み込みながらはじめた、小さな取り組みでした。当時は、半年後の活動の見通しを立てることも難しい状況でした。

そのような小さなスタートではありましたが、多くの方々に支えていただき、10年間で延べ4,000人以上の子どもたちやご家族との出会いがありました。

そして、その背景には、まだ実績がない私たちを信じてくれた寄付者の方々、ボランティアとして参画してくれた大学生たち、協力してくれた塾や習い事の先生たち、他にも多くの支援者の方々の存在がありました。振り返ると、本当に人に恵まれた10年だったと思います。

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(写真) CFC代表理事 今井 悠介

■10年前と重なるコロナ禍

コロナ禍の現在、CFCの事務局にはご家庭から悲痛な声が届き続けています。この光景は、東日本大震災直後の10年前と重なります。当時も、日々被災されたご家庭からの電話が鳴りやまず、多くの子どもたちからの支援の申し出をお断りせざるを得ず、悔しい思いをしました。

今年もコロナ禍で厳しい状況にある家庭の子どもたちからたくさんの支援の申し出がありましたが、希望する全ての子どもたちに届けることはできておらず、自分たちの至らなさを痛感しています。

しかし、10年前と同じ光景ばかりではありません。10年間で積み重ねてきたものがあります。それは、活動を通じて出会った多くの方々との温かい関係性であり、そこから得た数々の学びです。
特に、前を向いて進んでいく子どもたちの姿からは、一人一人の人間が秘めている可能性の大きさを知るとともに、その可能性の芽をつぶさないための環境作りこそが、私たち大人が果たすべき重要な役割だと強く感じました。

そのために、自分たちの活動は本当に正しい方向に進んでいるのか?
迷ったり、葛藤したりしながら、それでも一歩一歩進んできた10年間でした。積み重ねてきたことを大切にしつつ、一方で社会の変化に合わせて、自分たち自身が変わることを恐れず、歩んでまいります。今後とも、ご支援・ご協力のほど、よろしくお願いいたします。

 

 

開所から10年「震災直後から挑戦する機会を」宮城県女川町の放課後施設の移転と感謝の思い
2021年6月24日

ハタチ基金の助成先団体であるNPO法人カタリバが運営する「コラボ・スクール 女川向学館」。
東日本大震災直後の2011年7月にカタリバが立ち上げ、今もなお続く、被災地の子どもたちのための放課後施設です。家庭でも学校でもない子どもたちの第三の居場所として、10年間で532人の子どもたちを支えつづけてきました。

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(写真)14時46分。校舎の時計は、10年前に地震があったときの時間でとまったままになっています。

2021年春、女川向学館は、震災10年を迎える中でこれまで使っていた校舎の取り壊しが決まり、新しい場所へと移転しました。旧校舎で3月18日に行われた感謝式の様子と、コラボ・スクール女川向学館のこれからの取り組みをレポートします。

■路上で勉強する子どもたちに、安心して学べる居場所を

カタリバでは東日本大震災発生後に、スタッフのみんなで街頭募金を実施。集まった募金を持って、カタリバ代表・今村久美が被災地入りしたのは、2011年4月17日のこと。伝手をたどってあちこちの地域を巡るも、カタリバができそうなことは、なかなか見つかりませんでした。

そんな中、最後にたどり着いたのが女川町。女川町は、宮城県内で最も死者・行方不明者数の割合が高かった町です。小中学校は高台にあったため学校にいた子どもたちは助かったものの、町内の約89%の建物が被害を受けており、路上で勉強する子どももいるような状態でした。

そのような状況の中で、教育長や教育委員会と面会し、放課後の居場所をつくることを決定。「子どもたちの教育をどうしていくか?」と地元の先生たちとも話し合いながら、2011年7月4日に初のコラボ・スクールを開校しました。

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(写真)開校直後の女川向学館の様子。地元の塾の先生やボランティアが運営に協力してくれた。

開校した場所は、避難所となっていた女川第一小学校校舎の1階。もともと女川第一小学校に通っていた子どもたちは、2011年4月からは中学校の校舎、7月からは女川第二小学校(現在は女川小学校に統合)を間借りして授業を受けていました。そのため、コラボ・スクール開校にあたって、「もう授業がされなくなった校舎をまた使ってくれてよかった」と言ってくれる子どももいました。

コラボ・スクール女川向学館で受け入れることになったのは、小学1年生〜中学3年生の子どもたち。震災翌年の2012年3月には、37人の中学3年生が高校受験を無事に乗り越え、初の卒業生も送り出しました。10年の活動の中には、長引く仮設住宅での生活の疲れや震災のストレスにより子どもたちが体調を崩したりと大変な時期もありましたが、学校の先生たちや地域の人たちとともに子どもたちを見守り続けてきました。

■20,000時間以上を過ごした「コラボ・スクール」向学館での思い出を振り返る感謝式

震災後、女川第一小学校校舎のグラウンドにはたくさんの仮設住宅が急ピッチで設置され、町内最初の仮設団地ができました。2011年11月には、避難者全員の仮設住宅への引越しが完了。
その後、町内の小学校が統合され、女川第一小学校は2013年3月末をもって閉校になりましたが、カタリバは、その後もずっとこの校舎をお借りして、活動を続けてきました。

しかし開所から10年という年月が流れ復興のフェーズも変わる中で、このタイミングで校舎を移転することに。
2021年3月18日には感謝式として、在校生や卒業生、スタッフたちが校舎やオンラインに集まり、
20,000時間以上の時を過ごしてきたコラボ・スクールでの思い出を語り合いました。

中学3年生の女子生徒は、小学2年生から通った8年間のコラボ・スクール生活について、こんな風に話してくれました。
「苦手な科目にも先生が寄り添ってくれたし、学校で体験できないことに挑戦する機会を与えてくれたと思います。高校受験に必要な作文についても、オンラインで国語の先生がサポートしてくれました。第一志望校にも無事合格しました。挑戦する楽しさを忘れずにこれからも学び続けたいです」

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(写真)高校生活の傍ら、ボランティアスタッフとしてコラボ・スクールで小中学生に勉強を教えてくれた生徒。

現在大学2年生の卒業生は、元女川第一小学校の生徒。震災当時は10歳でした。コラボ・スクールに通いながら、高校時代は「自分も教えてみたい」とボランティアスタッフとして、小中学生へ勉強を教えることも経験。現在は教育学部で教員免許を取ろうとしています。

「日常が大きく変化して疲弊していましたが、向学館ができて、友達と遊んだり、気兼ねなく話せる大人ができたりした。失われたと思っていた交流の場所や安心できる時間をもたらしてくれて、それが自分たちの活力になりました。ここでの経験があったからこそ、子どもの成長に携わるという夢を見つけられました。これからも、子どもたちが放課後に集まって勉学に励める場所であってほしいです」
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(写真)町長や教育長も感謝式に顔を出してくださり、みんなで卒業生や在校生のコメントを聞きました。

また、女川町の町長や教育長からは「自分も子どもが2人お世話になっていました。ひとりひとりに外の世界を見せてくれる玄関口でした」「AI型タブレット教材など、先進的なものを取り入れてくれました。学びや遊びだけでなく、心の拠り所にもなっていたと思います」などのコメントをいただきました。

久しぶりに顔を合わせた卒業生やスタッフ同士、近況報告にも花が咲きました。大学進学や転職はもちろん、結婚したり子どもができたりという報告もあり、この10年間それぞれが頑張ってきたことを感じられる、温かい時間が流れました。

■女川向学館の事例を通して、震災の記憶を受け継いでいける

女川向学館の新校舎の場所は、JR女川駅前のテナント型商店街「シーパルピア女川」であす。シーパルピア女川は、震災後の女川町の顔として新しくつくられた、駅から海に向かって真っすぐに続く商店街。  小中学校からも近い町の中心部にあり、前より通いやすくなったという子どももいるそうです。

向学館立ち上げの時から活動していた山内は、これまでの10年、そしてこれからのコラボ・スクールについてこんな風に話します。
「開校から今までの10年は、コラボ・スクールは”よそから入ってきた”と捉えられていたかもしれません。でもここから10年20年は”もともと女川町にあるもの”として、どういう価値を地域で生み出せるかだと思っています。

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(写真)石巻市出身。女川町で塾を運営し、3.11により被災。震災後は塾の無料開放を行っていたが、コラボ・スクールの話を聞き、参加を決意する。10年経つ現在も業務委託でカタリバに関わり続ける。

「地方ならではの教育格差や機会格差という課題がある中で、女川向学館の取り組みは、地方のモデルケースの1つになると思っています。それに女川に事例を聞きにきてくれたら、ここで起きた震災のことも知ってもらえる。被災地で育った人間としては、今後も日本各地で自然災害がおこりうる可能性があることや、備えが必要であることを忘れてほしくありません。同じような想いを持つ町民はたくさんいます。そうした想いをつなぎ続けながら、今後も活動していくのだと思います」

■この地域に根付いた、持続可能な運営を目指して

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(写真)北海道出身。アフリカ・モザンビークで先生として勤務中に3.11の震災が起き、2012年4月から女川向学館で働きはじめる。2021年より、拠点長に。

また、2021年より拠点長となるスタッフ・芳岡は、これからのコラボ・スクール女川向学館について、こんな風に話します。

「今回、校舎は変わりますが、やることは本質的には変わらないと思っています。放課後の居場所があって、子どもと先輩たちのナナメの関係がある。これまではカタリバという組織で運営してきましたが、この地で継続的に子ども達の成長をサポートするために経営や運営の主体を地域に移管していきたいと考えています。運営ノウハウや人材採用などはカタリバもサポートに入りながら、今後10年20年とここで運営していけるように考えていきたいです。

「ここで生まれた子達が『どこで生まれても関係ない』と言えるようになるのには、女川向学館だけでは難しい。女川町として、町一体で教育に取り組んでいけたらいいなと思ってます。『向学館があるから新しい教育を生み出すことができた』みたいに、日本を代表するような事例になればと思うし、地方の教育のモデルケースをつくりたいです」

これまではご寄付に支えていただきながら運営を続けてきましたが、地域の中で持続可能に運営していくための準備も少しずつ進めています。この地域で培ってきた関係性をよりしっかりと育てながら、子どもたちを支えていける体制構築に、カタリバは取り組んでいきます。


▶女川向学館と同じく東日本大震災後の2011年より、岩手県大槌町でカタリバが運営する「コラボ・スクール大槌臨学舎」も、昨年に校舎を移転しました。緊急事態宣言が明けてしばらくの移転だったため、感染予防等を考慮して感謝式等は執り行いませんでしたが、多くのみなさまに感謝を伝えたいとスタッフが動画を作成しましたので、ぜひご覧ください。現在は、大槌高校内の教室をお借りして、運営を続けています。

【コラボ・スクール大槌臨学舎 旧校舎お別れ動画】

※本記事は、NPO法人カタリバのWEBサイトより転載しております。

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【仙台市内で初の取り組み】認可保育園で子ども食堂を開催!~保育園を地域の親子のセーフティネットへ~
2021年5月28日

 

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ハタチ基金の助成先団体のひとつである認定NPO法人フローレンスの「おうち保育園仙台」では、『ほいくえん子ども食堂』が開催されています。
保育園内での子ども食堂のオープンは仙台エリアでは初めての取り組みです。
保育所との連携により親子に自然なかたちで伴走できるサポートシステムとして、また親子と地域住民をつなぐ多様な交流機会の場作りとして、機能していくことを目指しています。

 

夫婦共働きや単身世帯の増加が当たり前の時代となり、家族を取り巻く環境が様変わりしている昨今。
その中で、食卓を囲むことが家族の絆を深める場としている一方、孤食の恒常化が問題となっています。その裏側には、「孤独な子育て」や「家事負担」といった悩みを抱え、社会支援を必要とするご家庭も多くなっているのが現状です。

このような様々な課題を抱えた子育て家庭が社会から孤立してしまわないよう、地域と繋がりを持ち続けることが重要です。そこでフローレンスが着目したのが、「保育園」でした。
地域に複数ある保育園は地域の子育て情報が集まり、行政機関とも密に連携しているため子育て支援の場として非常に適しています。子育て支援事業者であるフローレンスは、地域の保育園が親子のセーフティネットになることを目指し、その1つの機能として2019年に仙台市内では初の試みとなる、保育園内で開催する子ども食堂をオープンしました。

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認可保育園内で子ども食堂開催に至るまでのいくつもの壁

1.「認可」というハードル

認可保育園で子ども食堂を開催する一番のハードルは、自治体との連携です。フローレンスの子ども食堂の活動は、当初は企業主導型保育園「おうち保育園かしわぎ」を拠点にしていました。
しかし、保育園で子ども食堂を開催し、親子のセーフティネットとなるよう、より多くの地域に広めていく上では、認可保育園内での子ども食堂開催の実現は1つの目標でもありました。

認可園の運営は、自治体から施設の設備や面積などの基準について、細かく指定を受けています。そのため、行政の指示を仰ぎながら何度も調整を繰り返し、1つ1つの課題をクリアしていくことで、2020年にようやく、認可園「おうち保育園こうとう台」での子ども食堂開催が実現しました!

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2.持続可能な子育て支援の実現
園内で子ども食堂を運営していく上で、次に大きな課題となったのが、人員です。
子ども食堂を運営するメンバーには保育スタッフを始めとする、園を支えるスタッフ達が中心となり活動を行っています。しかし、日々の保育に加えて子ども食堂を運営しているため、活動人員は限られています。
そこで子ども食堂を支え、活躍してくれているのが、学生ボランティアの皆さんです。これまでに、のべ41名の学生ボランティアが参加してくれています。

ボランティアでは、学習支援、お子さんの見守りや絵本の読み聞かせ、手作りおやつに子どもたちと挑戦する等、さまざまなサポートを行ってくれています。
このように地域ボランティアの協力を得ることで、限られた人員でも持続可能な子育て支援が行えています。
(※新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、現在は必要最低限のスタッフ体制で運営しております)

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(利用者の声)
何度か利用させていただいてます。普段は自分が家族の夕ご飯を作っている時間が、子ども食堂がある日は家族一緒にお散歩をしながらお弁当を取りに行く時間となり、とても楽しいひとときです。いつも美味しいお弁当ありがとうございます。
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子ども食堂利用者の方から、このような嬉しい声もいただきスタッフ一同とても励みになりました!
同時に、世の中が大変な時にこそ継続した支援・活動を行うことで、1人でも多くの親子の笑顔につながっていくのだと気が引き締まる思いです。

おうち保育園仙台では、このような子育て支援の輪が全国の保育事業者の皆さんに広まっていくことを願い、これからも支援活動を続けていきます!

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東日本大震災から10年を迎えて(公益社団法人チャンス・フォー・チルドレン代表理事 奥野慧)
2021年4月27日

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東日本大震災から10年目となる今年。今も変わらず活動を続けるハタチ基金の助成先団体は、どんな想いでこの節目を迎えたのでしょうか。
震災直後から被災地に赴き、現在はハタチ基金の助成団体である公益社団法人チャンス・フォー・チルドレンの理事として活動する奥野慧さんからのメッセージです。

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私が初めて宮城を訪れたのは2011年3月26日、震災から2週間が経った頃でした。最初に向かった仙台では、ガソリンを求める長蛇の列や、窓ガラスが割れたコンビニ、壁が崩れたビルなど、被災直後の街の姿を目の当たりにしました。

そして、2日後に向かったのが石巻市。そこは今考えても現実とは思えない、目を背けたくなるような光景が広がっていました。街の真ん中に流れ込んだ漁船、基礎だけが残った家々、倒れた電柱に潰された車、どこからか流れついた魚と街を覆う生臭さ。一瞬にして、とてつもない絶望感に襲われたのを覚えています。

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それから2ヶ月間、私は「つなプロ」(様々な専門性を持つNPOが連携し、被災者とNPOの支援をつなぐ取り組み)の事務局として避難生活をする方々のサポートに関わり、2011年6月に共同代表の今井、前代表の雑賀と共にCFCを設立しました。

様々な思いが合わさって始まったこの活動ですが、私自身は、「今度は自分がやる番だ」という強い使命感を感じて動き出していました。それは、2004年に地元を襲った新潟県中越地震の後、友人が車で受験勉強をしていた姿。2011年につなプロで訪問した多賀城市の避難所で参考書を広げていた高校生の姿。この2つの光景が重なって生まれた思いでした。

あれから10年が経ちます。10年という時間は、人々の記憶を風化させる一方で、被災された方々を癒やすには十分ではない時間だったように思います。近年も、CFC仙台事務局には被災をされた保護者から様々な声が届いています。

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■東日本大震災で被災をされた保護者の声
『大災害に精神が追いつかず、当時していた仕事ができないまでに心が弱ってしまいました。今でも精神的に不安定になる事も多く、病院で処方された薬を飲んでいます。』(宮城県名取市)

『震災後、元夫のDVと子どもへの虐待が原因で精神疾患になり、震災前の1割~2割ほどしか子育てができなくなりました。家事が思うようにいかず、子どもたちに協力してもらっています。』(宮城県仙台市)

『(原発や放射能を気にして)自宅では窓、カーテンを閉めての生活、外で遊ぶことは全くなくなりました。外に出たくても出られずゲームばかりの日々でした。』(福島県いわき市)

『3歳だった娘は私に抱かれて津波から逃げた記憶を今でもしっかり覚えているそうです。家が全壊、親戚や友達が亡くなり、避難所の小学校でダンボールの中に入り、黒色のクレヨン一色で流れていく家や車の絵を描き続ける娘を見て、この子に笑顔が戻る日が来るのかと不安になりました。』(宮城県石巻市)
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■10年が経った今、生まれた課題
このように、10年が経った今もなお、被災された方々の声からは震災の影響が色濃く残っていることを感じます。

また、10年が経ち、困難な状況が長期化したことで生まれた課題もあります。近年は、喪失体験や経済困窮に加え、健康面、虐待、障害、孤立など、複合的な困りごとを抱えているケースが増えてきており、より細やかで継続的なサポートが必要になっています。

その一方、10年活動を続ける中で、積み上げてきたものもあります。

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■10年前には見えなかった希望とこれからの歩み
当初、3人で始めた活動は、数千もの方々に支えられる活動になりました。1年目150名に提供したスタディクーポンは、10年で延べ3,000名以上に提供するに至りました。

クーポンを利用して就職や進学をして巣立っていった子、地元で働き、その支えになっている子もいます。また、当時被災をした子どもが、現在は学生ボランティアになっていたり、寄付者になって活動を支えてくれていたりします。

こういった、CFCを通じて東北を支えてくれている方。自らが震災で味わった苦しみをエネルギーに転化させ、今の子どもたちに寄り添う若者。これらは10年前には見えなかった一つの希望です。

私たちは、子どもたちの教育機会を保障し、地域の未来を担う者を育てることが、東北の復興に寄与すると信じ、活動を続けています。この思いは今も変わりません。これからも、東北と子どもたちの未来に向けて、歩みを進めていきたいと思います。

2021年3月11日
公益社団法人チャンス・フォー・チルドレン
代表理事 奥野 慧

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誰一人取り残さない。 ふたば未来学園が学校一丸で取り組んだ、ICTを用いた学びの環境づくり
2021年3月25日

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新型コロナウイルスの拡大は、学校現場にも大きな影響をもたらしました。

ハタチ基金の助成先団体であるNPO法人カタリバの常駐する、福島県立ふたば未来学園中学校・高等学校(以下、ふたば未来学園)でも、3月から春休みまで、そして緊急事態宣言の全国への拡大に伴い4月21日から5月下旬まで再び臨時休校期間が続きました。

ふたば未来学園では生徒一人に一台のタブレットが用意されていましたが、ICTを活用した一斉の課題配信や授業配信はこれまでほとんど行われたことがありませんでした。そのなかで今回、なぜICT化を実現することができたのでしょうか?どのような準備があり、外せないポイントは何だったのでしょうか?カタリバスタッフからのレポートです。
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突然の休校決定、生徒の学びを保障するために取り組み始めたICT化

それは突然のことだった。

2月27日夕方、「全国の小中高に3月2日からの臨時休校要請」との速報。

職員室、カタリバスタッフが常駐する双葉みらいラボでは、動揺が広がった。ニュース速報を知って、「うちも休校になるの?」と尋ねてくる生徒もいたが、教員もカタリバスタッフも速報を知ったタイミングは同じ。その日は、生徒に説明もできないままに終わった。

臨時休校を前に、教員やカタリバスタッフから「休校中、教員が生徒と繋がりを保つためにどのような方法があるだろうか」「なんでもかんでも提供するのではなく、生徒が自立的に家庭学習を行う状態を目指したい」というような声が口々に挙がった。また、突然の環境変化による生徒の心身不調を心配する声もあった。

臨時休校開始まで、職員室では休校期間中の対応について議論が重ねられた。そして、毎朝各クラスの担任中心で実施する「オンライン朝学活」や、教科ごとに実施する適宜の「オンライン課題進捗確認面談会」、カタリバが中心となって毎日運営する「オンライン双葉みらいラボ」などの実施が決定した。全生徒が各自宅から参加するような大規模なICT活用はふたば未来学園で初めてのことであったが、今回のコロナ禍を契機に各先生のICT化をサポートしようとする管理職が、これらの決定を後押しした。

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オンライン双葉みらいラボの様子

休校前最後の登校日となった3月3日は、全学年で休校中の過ごし方に関するアナウンスと、必要なICTツールの導入・使用方法に関するレクチャーが行われた。ここには、担任のみならず、多数の教員・カタリバスタッフがサポートに駆けつけ、生徒の疑問やつまずきを一人ずつ解消していった。

この他オンライン個別進路面談や希望者向けのオンライン課外など、生徒の声を拾いながら、3月の休校期間中に随時新たな取り組みが生まれていった。

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生徒のサポートに回る教員・カタリバスタッフ

再びの休校 ワーキンググループを立ち上げ、学校全体の取り組みとして深化

4月8日、福島県内の学校では登校が可能となったが、全国各地で新型コロナウイルス感染拡大が続いている状況から、再びの休校開始の可能性が濃厚になっていた。その状況を受け、校内に「家庭学習ICT活用支援ワーキンググループ」を設置。3月の休校期間中に各教員やカタリバスタッフのもとで実践されてきた知見を集約し、再びの休校に向けICT活用法や課題を整理した。そのうえで学校全体で組織的に取り組んでいくための環境整備に取り組んでいった。

こうして準備を進めていくなか、ワーキンググループ発足から1週間後、ふたば未来学園でも再びの臨時休校が始まった。

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4月の臨時休校を前に開かれた教員向けICT講習会の資料の一部

3月の臨時休校との大きな違いは、45分授業×4校時からなる特別時間割を組み、全学年で遠隔授業を実施したことだ。3月以降、断続的な休校措置が取られるなか、既存の履修内容の復習に留まらず、各教科の年間指導計画を踏まえた新たな内容の学習に取り組んでいくこととした。遠隔授業の手法は教員間で議論を重ね、「同時双方向(リアルタイム)型」での遠隔授業に限らず、事前に動画や教材を配信する「オンデマンド型」、プリントや問題集による「課題提示型」など、その手法は各教科会や担当教員が授業の特性に合わせて選択する形とした。

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中学1年生でのリアルタイム型の遠隔授業の様子

この他にも、全学年でのzoomを活用した朝学活の実施、3月から引き続きのオンライン双葉みらいラボの開館など、休校中の生徒の学びを1日を通して保障する環境を設計した。

ふたば未来学園では4月21日以降、本来であれば登校するはずであった18日が臨時休校となったが、この期間に結果として、72校時分の授業時間を確保することができた。また3月の臨時休校から実施した「オンライン双葉みらいラボ」には、のべ429人の生徒が来館した。

取り組みの振り返りとこれから

福島県では、5月25日に休校期間が明けた。休校期間終了後ふたば未来学園では、今回の休校期間中におけるICT活用の取り組みに関して、全教員・生徒を対象にアンケートを実施し分析を進めている。

家庭のネットワーク環境の有無などに起因する通信環境の制約や、画面越しでの生徒の理解度把握の難しさなど、実施したことによって見えてきた課題もある。一方で、下記のようなメリットを挙げるコメントもある。

教員の声:
「事前に授業中の指導内容を精選することで、遠隔であっても授業進度が確保できた」
「ICTツールを活用した追加資料の事後配信や個別の質問対応など、授業後のフォローもしやすい」

生徒の声:
「自分のペースで進められる」
「わからないところをチャット機能で先生にすぐ質問できる」
「時間的な余裕が生まれた」

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遠隔授業に参加する生徒の様子

今回、学校をあげてICT化に取り組むことができた要因について、ふたば未来学園学園の南郷市兵副校長に話を聞いた。

南郷副校長:「今回の臨時休校中にICT活用を通した家庭学習を実現できた要因はいくつかありますが、偶然は1つもなかったと思うんです。

『教員個々のマインドセット』、『3月のプレ実践』、そして『一部の教員の取り組みとせず、組織的な取り組みとして進めたこと』、要因はこの3点だと考えています。

1点目について、今回の一連の取り組みでは、教員個々人が誰かからの指示を待つのではなく、状況を見極め主体的に行動する姿が目立ちました。ICT活用経験のある教員がzoom等のツールや機器を使いこなすために自作マニュアルを共有したり、お互いの遠隔授業のサポートに入ったりするなどの行動が、随所で起こりました。また、生徒だけでなく教員間でも『誰一人取り残さない』、その精神がチームワークを生んでいたように感じます。これはクロスカリキュラム(教科を横断した授業づくり)など、昨年度までに行ってきた取り組みも効いていたのかもしれません」

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休校延長が決定した後、ゴールデンウイーク明けに実施した第2回教員向けICT講習会

南郷副校長:「2点目の『3月のプレ実践』について、3月はICTを活用しあらゆることに挑戦した1か月でした。zoomを活用した朝学活や遠隔授業、オンライン双葉みらいラボなど、3月に挑戦してみたこと1つ1つが、4月の臨時休校期間の取り組みに繋がりました。プレ実践の実績があったことで、想像ではなく取り組んできた事実をベースに建設的な議論を重ねることができたと感じています。

3点目について、今回のコロナ禍に際して本校では『コロナ対策を万全に講ずることと、生徒の学びを保障することの両立を図る』というテーマを置き、早い時期から組織的に取り組んできました。例えば3月、臨時休校が決まった直後の生徒登校日に、即座に家庭のネットワーク環境に関するアンケートを行いました。これは、ICTを活用した家庭学習の実施可能性を念頭に置き、管理職からの提案で実施したものでした。

この事例には続きがあります。その後、4月に入り入学式を控えたある日、中学の教員が入学式当日に新入生にも同様のアンケートを実施しようと準備を進めていることを私は知りました。これは、管理職の誰かから提案したものではなく、その教員は『この状況下で当然実施すべきものだ』というマインドセットを持ち、自主的に準備を進めていたものでした。

このように、3点目の組織的な取り組みだけでなく、1点目の教員個々のマインドセットとの両輪が回ったことにより、一連の取り組みは加速しました。さらに、3月でのプレ実践という挑戦があったことで、より確度の高い取り組みにしていけたのだと考えています」

臨時休校が明けた今も、ICT活用は各所で続いている。

探究学習などでこれまで学校に直接呼んでいた県内外からのゲストについては、現在は直接呼ぶことができないが、遠隔授業のノウハウを活かしながら、オンライン会議ツールを活用して6月だけでも既に10回以上実施している。オンラインで繋ぐための技術的なサポートは必要となるが、直接ゲストを招く場合に比べ、移動に伴う時間的・金銭的制約も少なく、生徒とゲストを繋ぐ頻度をこれまで以上に高めていく契機にもなりそうだ。また休校前に比べ、ClassiやGoogle classroomなど、生徒と教員のコミュニケーションツールの活用頻度も大きく伸びた。

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休校明けに実施された「オンライン考査学習支援」

今回の臨時休校によって失われた、学びの機会や経験は少なからずある。一方で、一連の取り組みで得た経験やノウハウは、休校が終わったからといって無くなるものでもなければ、再び休校前の形に戻すものでもない。オフラインとオンラインの双方良いところを活かした学びの環境設計に向け、ふたば未来学園では次の一歩を踏み出し始めている。

 

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震災直後から、ハタチ基金とともに歩んだこどもたちの10年~チャリティーコンサート2020より~
2021年3月10日

 

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今年は東日本大震災から10年目の節目となります。ハタチ基金は震災当時から、「東日本大震災発生時に0歳だった赤ちゃんが大人になるまで」をコンセプトに活動を続けてきました。

先日、長くハタチ基金を支援してくださっている寄付者の方が主催してくださり、ハタチ基金チャリティコンサートが開催されました。コンサートには、震災当時中学生だった阿部泰喜さん、高木桜子さんが演奏者として参加してくれました。2人ともそれぞれ宮城県女川町、岩手県大槌町で被災を経験しています。

今回はコンサート内で行われた2人へのインタビューセッションの内容を紹介します。聞き手は、ハタチ基金理事の今村です。

ハタチ基金が震災発生時から続けてきた支援は、被災地の子どもたちに何をもたらすことができたのでしょうか。

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被災後も実家の新聞店を手伝いながら、コラボ・スクールに通った

【今村】泰喜くんは今年で23歳。震災当時は中学1年生だったんだよね。震災があって、ご自身の生活はどんなふうに変わりましたか?

【阿部】自宅がかなり海に近い海沿いにあったので、自分の家と、新聞屋をやってるんですけれども、そのお店も流されてしまって。
幸い家族とか親族は無事だったんですけど、自分が大事にしていたものも流されてしまいました。震災直後は本当に衣食住を何とかするのに必死でした。

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<プロフィール>
宮城県女川町出身の阿部泰喜(あべたいき)さん。震災当時13歳。震災直後、コラボスクールに毎日のように通学。現在は東京で音楽活動中。

【今村】そんな中で、家の手伝いもしていたんだよね。新聞屋さんであるお父さんのお仕事は、震災後の町を支える重要な役割でした。

【阿部】そうですね。もともと新聞を配達する仕事もしていたんですけど、震災直後は隣町から持ってきた新聞を自転車で各避難所に配ったりしました。
当時はテレビも全然見れなくて、携帯の電波も通じてなかったので、情報を得るにはラジオか新聞っていう状態だったんですよね。
だから避難所に新聞を配達しに行くと、みんなが新聞を欲しがる。必要とされてるんだということは、中学生ながらに感じていました。本格的に手伝い始めたのはちょうどその時期ですね。

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【今村】泰喜くんは、女川町のコラボ・スクール(※)である向学館にもたくさん来てくれていたよね。

(※コラボスクールとは:東日本大震災によって被害を受けた宮城県女川町と岩手県大槌町に認定NPO法人カタリバが設立した子どもたちの居場所・学びの場。ハタチ基金からの支援を受けて運営している)

【阿部】そうですね。特に受験の時は。やっぱり家がかなり狭かったんですよね。2人の弟もまだ小さかったし。ちょっとバタバタしてるのもあって。
被災しても受験は待ってくれないから、落ち着いて勉強するために自習室とかを使って勉強させてもらっていて。質問したいことがあったらボランティアで来ている大学生の先生に質問していました。今でも仲良くさせてもらってる人もいます。そういう人たちに会えるのは当時の自分にとってはなかなか新鮮でしたね。女川町には大学はないですし、ちょっと大人なお兄さんお姉さんに相談ができたのは向学館があったからだと思っています。

【今村】もう1人紹介したいと思います。岩手県の大槌町で出会った高木桜子ちゃんに来ていただきました。

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<プロフィール>
岩手県大槌町出身の高木桜子(たかぎさくらこ)さん。震災当時13歳。吹奏楽部を通して大槌町の語り部やチャリティー演奏を行ってきた。大学卒業後、今年度からカタリバの職員として就職予定。

【高木】岩手県大槌町出身の高木桜子です。今は東京に住んでいます。
震災当時は中学校1年生でした。家族は無事だったんですけど、津波で自宅が全壊してしまいました。仮設住宅で、5人兄弟と両親の7人で仮設住宅に住んでいた時期もあります。

【今村】大学進学時に上京して、東京では少し特別な大学生活を過ごしていましたよね。

【高木】はい。夜間の大学に行ってるんですけど、お昼は大学の中でアルバイトができる制度があって。毎日学校に朝から晩までいるという生活をしていました。経済的に自立しようと思って、ほぼ全額自分で大学の学費を稼いでいます。

【今村】働きながら夜間コースで学ぶって、すごい大変なことだと思う。

【高木】でも楽しかったです。毎日大学の中で働いてるので職員さんと繋がりができたりとか、あとはサークルも2つ、3つくらい入っていたので。毎日ぎっしり予定を入れて過ごしてました。もちろん勉強もして、この春に無事卒業が決まりました。

【今村】良かったね。ほんとにやりたいことを全部やった4年間だったと思います。
そんなアグレッシブな桜子ちゃんだけど、中学生の時とかはそんなキャラじゃなかった印象があるなあ。

【高木】そうですね。中学の時の自分は真面目な、隅で静かにしているようなタイプでした。カタリバのコラボ・スクールが大槌にできてそこに通ったり、部活とかでいろんな人に関ったりして、それでちょっと明るい方向に変わったんじゃないかなって思ってます。コラボ・スクールができた当時は、最初は無料だから行ってみようみたいな、それくらいの感覚でした。

【今村】コラボ・スクールは全国の皆さんに寄付で応援していただいて、その財源で運営しています。1年目はスクールの利用料は完全無料にしたんですよね。桜子ちゃんもよく来てくれて。普段話さないコミュニティの人も多いし、自分のことを説明する機会も増えるよね。

【高木】そうですね。それで実際に行ってみると、たくさんの、しかも大槌町にはいないような感じのスタッフの方がいて、皆さんと話して会うたびに「桜子です、桜子です」って何回も自己紹介してた記憶がありますね。

【今村】あの時は私たちも、スクールを運営できるような施設は全部流されちゃってるから、お寺とか神社とか、その横の公民館施設とか、毎日違う場所で、「今日はここがコラボ・スクールです」みたいな感じで運営してましたね。それもまた面白かった。

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【今村】そんな桜子ちゃんですが新しい進路が決まったんだよね。

【高木】来年は大槌町に戻って、自分の出身校である大槌高校の魅力発掘・発信という活動と、マイプロジェクト(※)の活動に携わらせていただくことになっています。つまり、カタリバの職員になりました。

(※マイプロジェクト:身の回りの課題や関心をテーマに プロジェクトを立ち上げ、実行することを通して学ぶ、 探究型学習プログラムです。被災地の高校生との対話と活動のなかから生まれた学習プログラムです。)

【今村】被災してそこで出会った人を採用するっていうのは今回初めてかもしれない。
それが1番いい道なのかなっていうのは私自身も経営者としてとても悩んだけど。どういう経緯でやりたいと思って、決めたんですか?

【高木】自分がコラボ・スクールの生徒だった時に、すごく印象に残っていることが2つあって。
1つ目はSkype英会話でフィリピンの先生とSkypeで話をしたこと。今はもう当たり前だけど、当時Skype英会話もまだ新しくて。部活でいろいろ悩みがあるときも、Skype英会話の先生が親身にずっと聞いてくれました。それが、すごくカッコいいなと思って。
もうひとつは、進路を考えだした時、地元の感覚では高校卒業後に岩手県の大学どこか行くのが普通だったので、私もあまり考えずに同じことをコラボ・スクールの先生に話したんです。そしたら「安易な考えだね」と言われて。

【今村】それで、何か気づきがあったんだ。

【高木】はい。一言で、価値観が、自分の当たり前だと思ってたことが変わった出来事で。そんなふうに、コラボ・スクールの先生から影響を受けた私が、これからは自分の地元の子たちにも何かしてあげられたらいいなっていう気持ちがあります。

【今村】私も大槌町に行っていろんなことを見て聞いて経験しました。その経験を通して、地元の子どもたちにとって、学校の先生や友人とも、家族とも違う、ナナメの関係の人たちと関われる場所を作っていくことが大切だと思ってます。
いつか、その場所が大事だと思える人たちが、自らそれを作ろう、続けようということを担ってくれたらいいなと思ってたんですけど・・・まさかこういう形で、桜子ちゃんと一緒に仕事をする日が来るとは思ってなかったので、私も嬉しいです。
ということで、いろいろな経験をした2人が、こうして大人になってこの場に参加できるのは感無量ですね。

【高木】はい。やっぱり大学を卒業して社会人になる前の今だからこそ、寄付という形で私たちを支えてくださった方や、応援してくださっている方の前で、支えていただいた立場でコンサートに参加できたのが、すごく意味のあるものだったんじゃないかと思います。
私が震災を経験しても当たり前に生活してこれたように、今後も私の後輩とか、下の世代にもこういった当たり前の生活が続いて行けばいいなと思っています。

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被災地でハタチ基金の支援に出会った子どもたちが、これからは自分の故郷の子どもたちのためにできることをしていくーーそんな風に新しい時代の地域のリーダーを生み出していくことが、ハタチ基金のこれから10年の目指すものの一つでもあり、寄付者の皆さんと一緒に見ていきたい社会の姿です。

東日本大震災から10年。ハタチ基金は子どもたちの当たり前の生活をこれから先も守っていきます。これからも、寄付でハタチ基金を応援していただければ幸いです。

2031年、復興のその先を切り開く力を、子どもたちに。

 

ご支援はこちらから
https://www.hatachikikin.com/10th/

南相馬市の子育て環境の現実【NPO法人トイボックス】
2021年2月25日

それぞれのペースで一緒に過ごす子ども達

ハタチ基金の助成団体のひとつ、NPO法人トイボックスは、一人ひとりの多様性を活かせる社会を目指し、自治体と連携しながら「ひとづくり」「まちづくり」「つながりづくり」に取り組んでいます。

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NPO法人トイボックスは、「こどもとちいき」をテーマに自治体や地域の活動団体、市民と連携して、ひとりひとりのニーズを汲み取った活動を行なっています。

南相馬事業部は、2011年に被災地復興支援事業として活動を開始しました。

今年度は、地域の現状とニーズにあった支援活動を行っていくために、地域や行政の方々と定期的な話し合いの場を設けています。
その中で、南相馬市の現状を改めて見つめなそう!ということになり、地域の保護者と支援者を対象に、「子育て環境ニーズ調査」を行いました。

1ヶ月間という短い期間でしたが、アンケート調査(保護者55名、支援者9名)、オンライン調査(保護者14名、支援者10名)、聞き取り調査(保護者8名、支援者5名)の3段構えで一人一人の声を聴き、整理しました。

南相馬市小高区にある公園の風景

南相馬市は高齢化率36.3%と、福島県でも高齢者の多い地域です。子育てしながら介護している方も少なくありません。介護しながら子育てする方の困難は、子育てする同士でも分かち合いにくく孤立しやすい傾向が、今回の調査で浮き彫りになりました。

南相馬市には、病児保育をしている所がまだありません。夜間に子どもの具合が悪くなった時に診てもらえる小児科もありません。子どもの入院できる病院もありません。そうしたハード面での社会資源の不足がまずあります。
そして、今回のアンケート調査にご協力いただいた保護者の16%が、「自分が病気や負傷した際に子供の世話を頼める人はいない」と回答しました。医療体制等の社会資源が整わない地域で核家族化が進み、保護者の負担が大変大きくなっていることが明らかになりました。

そして今回、季節や天候に左右されずに子供を遊ばせることのできる屋内遊び場の充実を求める声も多く寄せられました。
この地域には、学童期が遊べる場所が少ないため、未就学児の遊ぶエリアで遊び、トラブルや怪我が多発しているという指摘もありました。
また、地域に馴染みにくさを感じている保護者が、地域のしがらみを気にせずに参加できる子育て講座や遊び場を求める声もありました。人口の少ない地域だからこそ、ほどよい距離を置ける場づくりが重要になるのだと痛感しました。

思い切り屋内遊びをする子ども達の遊んだ跡

今回の子育て環境ニーズ調査は、市の関係部署にも共有していただきました。子どもとその家族にとってより良い環境を作っていけるよう、今後も取り組んでまいります。

多くの皆様のご支援により、子ども達が安心して過ごせるまちづくりに取り組むことができています。心より御礼申し上げます。今後とも引き続き皆様からのご支援をいただければ幸いです。

 

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【お知らせ】決済システム メンテナンスのお知らせ
2021年1月14日

下記メンテナンス実施時間帯において、クレジットカード決済の一部の取引が 利用できなくなる可能性がございます。あらかじめご了承ください

2021年1月18日(月)AM3:00~AM6:00

より最適な家庭支援を目指して~第四回 仙台保育ソーシャルワーク情報交換会レポート~【おうち保育園仙台】

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フローレンス主催の「仙台保育ソーシャルワーク情報交換会」では、団体や地区の枠組みを越えて、仙台市内の小規模保育園で働く先生方を中心に、他県の先生方ともオンラインで繋がりながら、より良い家庭支援について情報交換を行っています。

先日開催しました第四回仙台保育ソーシャルワーク情報交換会では、「保育ソーシャルワークのしくみを整えることで家庭支援にもたらされた変化」をテーマにお伝えしました。
本日は、その様子をご紹介します!

◎保育園が担う「保育ソーシャルワーク」の目標と課題

「困りごとを抱えている保育園利用家庭が、今よりも過ごしやすくなるよう、支援スタッフが課題について一緒に考え、サポートを行う」保育ソーシャルワーク。保育ソーシャルワークでは、通常 保育園で行う保護者支援に加えて、より相談支援・ソーシャルワークの専門的な視点を持って親子や家庭の課題へアプローチしていきます。

「保育ソーシャルワークとは?」についてより詳しいご紹介はこちら

保育園利用家庭の中には、「課題を抱え、自分たちだけでは解決手段がわからず悩んでいる方」「他人に悩みを相談できず苦しんでいる方」など、様々な困りごとを抱えているケースがあります。

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保育ソーシャルワークが行うのは、これらの課題の早期発見を行い、その課題の深刻化を食い止め、課題の負の連鎖を断ち切ること。最終的には、親子がより健やかに暮らしていける状態を目指しています。

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家庭支援は保育士、栄養士、事務スタッフなど、保育に関わる全ての人がチームとなり、協働し行っていくものですが、医療ソーシャルワークなどの他の分野のソーシャルワークと比べると、保育ソーシャルワークの歴史は比較的浅く、マニュアルの整備が進んでいなかったり、そもそも園への保育ソーシャルワーカーの配置が進まなかったりと、まだまだ体制がしっかり整っている状態とは言えません。

そのため、課題が深刻化する前に困っている家庭のサポートを行いたい、と思う保育スタッフたちも、「ご家庭の様子が気になるけれども、おおごとにするほどではないかもしれない」「保育園だけでは対応できない問題を、どこに相談すればよいのかわからない」「家族が何に対して課題を感じているのかが見えづらい」と、対応に悩んでしまう場合があります。

では、どのようにすればこれら保育園が抱える課題が整理され、家庭が必要としている支援を見出し、より良い支援へと繋げていくことができるのでしょうか?

◎「解」は一つだけではない! より良い家庭支援を目指して

フローレンスの保育園でも保育ソーシャルワークをスタートした当初、「どの程度の課題感で、児童相談所などの関連機関へ連絡してよいのだろうか」という葛藤がありました。
また、実際に保育ソーシャルワークを行っていくにあたり、支援を行う上で様々な課題があるということが浮き彫りになるとともに、ご家庭に対して必要となってくる支援も多岐にわたるのだと明らかになってきました。

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そこで、まずは保育ソーシャルワークのしくみを整えることに注力することにしました。

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例えば、家庭が課題を抱えているかもしれないという懸念がある場合は、行政の資料をもとにフローレンスが作成した独自のシートを用いるようにしました。
シート内の項目をチェックしていくことで、その家庭が抱える課題について客観的な情報の整理を行うことができます。
これにより、親子の課題の見える化に成功しました。
この他にも、支援内容の記録方法を統一し、スタッフ一人ひとりが、誰が見ても必要な情報がきちんとわかる記録を取れるよう研修を実施し、改善していきました。
このように保育ソーシャルワークのしくみを整えていくことにより、各家庭が抱える課題が見えやすくなりました。

課題は家庭の状況によってで変容していくものですが、その様子がよく見えるようになったことで、「今、ご家庭が本当に必要としていること」にも気づくことができ、関係機関とのスムーズな協働など、必要な支援の方向性を導き出しやすくもなったのです。

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親子を取り巻く貧困、虐待、孤育て問題などの課題。2020年には新型コロナウイルスの感染拡大によって、より孤立化が進むなど、これからも社会は激しく変化し続けます。
各ご家庭が抱える課題も多様化し、それに伴い、これからの保育現場ではより多様で柔軟な、子育て問題への対応力が求められてくるはずです。
保育ソーシャルワークは、今まで保育園で行ってきた家庭支援に、ソーシャルワークの視点を加えた新しい支援の形です。そして支援の正解は、一つとは限りません。
家庭支援をしていく上でいちばん大切なことは、常に様々な視点を持ったチームで「より良い家庭支援とは何か?」について追求していく姿勢を忘れないことなのだと、今回の情報交換会を通じて改めて思いました。

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地域・子どもに寄り添い、被災地のこれからを支えたい:ダイドードリンコ代表取締役社長 髙松さまインタビュー
2021年1月8日

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地域社会に根ざし、全国的に飲料品の販売を行っているダイドードリンコ株式会社さん。
2012年より累計8300万円のご寄付をいただいてきました。
今回は震災から10年の節目に、ダイドードリンコ代表取締役社長の髙松さまにハタチ基金理事の白井から、ご寄付への想いを伺いました。

<ダイドードリンコ株式会社について>
「人と、社会と、共に喜び、共に栄える。」を理念とし、全国で地域社会に根ざした自動販売機での販売をメインに行っている清涼飲料メーカーです。
持続的な事業には、地域社会が豊かで元気であること、またその地域社会の次代を担う子どもたちが元気で健やかでいることが不可欠との思いから、独自の『地域コミュニティ貢献積立金』制度によって、日本の祭り等の地域支援や子どもたちへの支援を行っています。

ハタチ基金に支援を始めたきっかけ

白井:毎年お礼に伺わせていただいていて、もう9年めになりますね。本当に長い間ハタチ基金にご寄付をいただきありがとうございます。
最初はどのようなきっかけで、支援を始めたんでしょうか?

高松:震災が起きて、何かお役に立てることはないかという気持ちがありました。ただ、単純に寄付をして、その時だけで終わってしまってはいけないという思いがあり、支援を継続していくためにどうしたらよいか模索し始めました。
そこで、会社の中で、毎年利益の一部を積み立てて、そこから継続して支援しようという『地域コミュニティ貢献積立金』という仕組みが生まれたんです。それが一番最初の発端になりますね。

白井:高松社長は震災前から東北に行かれていますよね?
高松:はい、行っていました。
白井:この10年だけでなくて、その前からご覧になっている中で、東北にはどんな思いがありますか?

高松:そうですね……我々は、全国各地に自動販売機を置かせていただき、ビジネスをしているんですが、特に、東北のエリアって自動販売機の台数が多いんですね。
しかも東北はダイドーの自動販売機の比率が高くて、それですごく愛着があるといいますか、東北の地域の方に支えられて今までこうして成長してこられたっていう思いがあります。

元々、地域に根ざした自動販売機ビジネスをしているので、何か恩返しができないかということで、地域のお祭りを応援する取り組みなどもしていました。
そういった既存の取り組みの延長線上で、東北エリアで大きな災害が起きたとなれば、困っている方たちに何かできることを考えて応援していきたいという思いがありました。

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毎年ご寄付いただいている理由

白井:地域を大事に…本当にその通りです。ダイドードリンコさんからは、継続的にご寄付いただいていることが本当にありがたくて。それこそ10年もあると、他のところでも災害が起こったり、寄付をやめてしまうこともあると思うんですよね。
会社の皆さんの中から東北じゃなくて他のところにって声も上がるかなとは思っていたんですが、10年間ずっと続けてきてくださった。
私も福島におりますので日々感じていることなのですが、東北の方々はずっと「風化するんじゃないか」「もう大丈夫って思われてるんじゃないか」っていうような見えないこの先への恐怖や不安と戦っていると思うんです。
これまでご寄付いただいてきて、これからまた10年一緒に見守っていこうっていうふうに思っていただいている背景や理由をお聞きしたいです。
高松:そうですね、最初から継続して何かお手伝いできることっていうふうに考えていたのと、特にハタチ基金の「震災の時に生まれた子どもが二十歳になるまで」っていう理念にすごく共感しています。

白井:嬉しい、ありがとうございます!
高松:あとは、やはりこれからの世代を担う若い人たちを支援していきたいっていう思いがあります。そこが続けている理由ですね。
また、コンビニエンスストアやスーパーなど、ドリンクの売り場が増えていて、「自動販売販機離れ」が進んでいるのも現状す。
自動販売機ならではの良さや、ダイドードリンコの事業を、これからの将来を担う若い人たちに知ってもらいたいというのもあります。

白井:おっしゃる通りで、被災地支援に関わっていると、特に地方では自動販売機が防災拠点にもなるなと思います。
高松:そうですよね。まさに震災の時にも役立つように、災害対応の自動販売機も展開しています。
電源が落ちても手動で中身を取り出して避難所などで配布していただいただくことができるので、実際にお役に立てたこともあります。
普通の自動販売機でも、電気さえ通ればいち早く商品を提供できるという利点もあるんです。
白井:地方だと重要なインフラだと思います。
高松:そうですね。そういう社会インフラ的な役割を、若い人たちにも知ってもらえたらありがたいなといった思いもありますよね。

白井:ハタチ基金の支援先の団体に対して、自動販売機のペーパークラフトキットのご提供も毎年いただいていますよね。
私どもの拠点でも子どもたちがそれを作って家に持って帰って、自動販売機で買う練習をする活動をやらせていただいています。
高松:そうですね、ペーパークラフト自動販売機の取り組みもけっこう長くなりますね。東北に限らず全国でいろんな自治体さんや学校とか、そういったところに配布をさせてもらって、できる限りのことをやらせてもらってます。

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ハタチ基金や、支援先団体へ期待していること

白井:ありがとうございます。毎年とても楽しみに子どもたちと作らせていただいてます。
最後になってしまうのですが、ハタチ基金や支援先の団体に対して期待なさってることや、こういうことを一緒にしていければいいなとお考えになってることがあればぜひ伺いたいと思うんですが。

高松:これから10年でですね、まさに将来を担うリーダーのような人が育っていってもらえるように我々も応援ができればとても嬉しいなと思いますね。

白井:あと10年ぜひ一緒に見届けていただけたら嬉しいです。暖かいご支援、本当にありがとうございます。
高松:そうですね、ぜひご一緒したいです。ありがとうございます。
立ち上げ当初から継続的にご寄付いただき、ハタチ基金のパートナーとして被災地への支援に伴走してくださっているダイドードリンコさんに心より感謝申し上げます。
震災から10年目を迎える今、ハタチ基金はこれからも支援してくださるみなさんとともに被災地での活動を続けていきます。

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