活動レポートの記事

女川向学館が子どもたちの心の拠り所になるように【一般社団法人まちとこ】~新・助成先団体紹介 vol.2~
2022年9月25日

2022年度のハタチ基金の助成先となった13の団体。本シリーズでは、新たに加わった助成先団体の活動紹介を通して、震災から11年を経て変化していく、被災した地域の子どもたちの現状や課題をお伝えします。

今回ご紹介するのは、宮城県女川町を拠点に活動する「一般社団法人まちとこ」。まちとこが運営する、小中校生を対象とした放課後の居場所「コラボ・スクール女川向学館」は、震災が起きた2011年にできました。これまでは、認定NPO法人カタリバが運営していましたが、より地域密着で長期的に活動を行っていく必要があると考え、新たにまちとこを設立して活動をスタートしました。

まちとこの下川蓮さんより、活動内容の紹介とメッセージが届きましたのでご紹介します。

受験を控えた中学3年生に勉強を教える下川さん(写真左)

下川蓮(しもかわ れん)さん

神奈川県小田原市出身。大学生時代、女川向学館を訪れた際に見た「先生」でも「友達」でもない、あたたかい繋がり方を見て「これこそ地域の人たちとの関わりが希薄化している今の日本に必要な関係だ!」と感じたことがきっかけとなり、卒業後は女川向学館で働くことに。現在は、小学生の学びのサポートや中学生への教科学習をメインに担当する。プライベートでは、気軽に寄れる温泉や美味しい飲食店がいっぱいある東北での生活を楽しんでいる。

■町は復興しても、今も失われたままの“子どもたちの居場所”

まちとこが運営する女川向学館は、主に女川町の小学生から高校生が利用しています。小中学生には放課後学習支援や、キャリア学習支援などを。また、フリースペースとして利用することもできるため、好きな本を読んだりスタッフや先輩とおしゃべりをしたりといった、気軽に寄れる“放課後の居場所”を目指しています。

私たちが新たにまちとこを設立して女川向学館を運営することになったのは、今もなお、町の中心地に子どもが気軽に集まることができる屋内の居場所が少ないためです。町は復興していく中、新しく綺麗な家や建物が立ち並ぶ風景へと変わり、観光客も多く訪れてくれるようになりました。しかし、子どもたちが集うことができる屋内の居場所は、静かにしなければならない図書館や、役場内にある小さなスペースしかありません。それらの場所では子どもたちが気軽に訪れるにはハードルが高いように思いますし、習い事の教室や学習塾などもほとんどないため、多くの子どもたちは学校と自宅の往復になりがちです。

■親でも先生でもない“ナナメの関係”の常駐スタッフ 

そんな中、女川向学館は2021年、活動拠点を町の中心地に移転しました。(まちとこ設立は2022年)アクセスしやすい環境でもあるため、学校が休みの土曜日には、平日には来られない石巻市まで通っている高校生なども来てくれています。

この場所で大事にしているのは、気軽に寄って気軽に話せること。少し年上で利害関係のない“ナナメの関係”のスタッフが常駐し、他愛もないことから将来の悩みまで、何でも話せるような場所になるよう日々子どもたちと接しています。私たちスタッフだけではなく、中高生が一緒にボードゲームしたり、社会人になった若者に高校生が人生相談をしたりする姿もよく見受けられます。人口が少なく、住人の繋がりが強い町の特性もあると思いますが、「行きたくなる女川向学館」が存在するからこそ、若者にとっての居場所や心の拠り所、交流の場がこの町に生まれているように感じています。

女川向学館で放課後に学習する中学生たち

また、中学生には平日の部活動の後に教科学習の支援を。小学生を対象に土曜日にイベントを開催するなど、女川向学館に訪れるきっかけ作りも行っています。
いつでも帰ることのできる「若者の居場所」として、女川町の若者にとって欠かせない存在となるよう活動しています。

女川小学校での授業支援の様子。学校に出張もしている。
女川町教育委員会の方とも連携して学習支援を行っている。

■寄付者の皆さんへのメッセージ

いつもあたたかいご支援をいただき、誠にありがとうございます。私たちが女川向学館で子どもたちの支援ができているのも、皆様からのご寄付のおかげです。そのことをしっかりと胸に刻み、女川町の若者のために力を注いで参ります。

女川町は訪れた方々の心に残る場所がたくさんあります。機会がありましたらぜひ遊びに来てください。
今後ともご支援のほどよろしくお願いいたします。


法人・団体からのご支援はこちら

個人の方からのご支援はこちら

福島 楢葉町に戻った子どもたちの新たな居場所を目指して【NPO法人底上げ】~新・助成先団体紹介 vol.1~
2022年8月12日

2022年度、13の団体がハタチ基金の助成先に決定しました。今回ご紹介するのは新しく加わった団体の一つ、「NPO法人底上げ」です。底上げは、東日本大震災発生直後から、宮城県気仙沼市を中心に現地の復興ボランティアや学習支援を行ってきました。2022年4月より、福島県楢葉町で子どもの居場所づくり事業を新たにスタート。その活動は皆さんからいただいた寄付によって支えられています。

新規事業を立ち上げ運営する底上げの日野涼音さんから、活動内容の紹介とメッセージが届きましたのでご紹介します。

日野涼音(ひのりょう)さん

1999年生まれ。山形県山形市出身。高校時代、地域活動を通じて地域のことをもっと学びたいと思い、東北芸術工科大学コミュニティデザイン学科に入学。大学1年時に福島県楢葉町で1か月間インターンを行う中、福島浜通りに巡り合う。浜通りで生きる人たちの想いに惹かれ、この町で暮らしていくことを決める。2022年4月より、NPO法人底上げに入り、浜通りで過ごす子どもたちや、地域の大人たちが豊かで少しでも楽しく暮らせるような居場所づくりを目指し活動をしている。

■4年半 人が立ち入れなかった楢葉町でスタートした“創作活動を通じた居場所づくり”

福島県楢葉町は、東日本大震災当時、福島第一原子力発電所の事故の影響で4年半の全町避難を行いました。2015年に避難指示が解除され、2017年に小中学校やこども園が再開した後は、年少人口の数も年々上昇傾向にあり、子どもたちの数は増えつつあります。
一方で、習い事の教室が少なく、学習塾もないため、車で40分ほどかかる近隣のいわき市に習い事のために行っている子どもたちもいるそうです。子どもたちが楢葉町の中で、多様な学びの機会や、学校や家庭以外の居場所がないことが課題となっています。

そこで私たちは、この町で過ごす小中学生たちに、学校だけでは学びきれない地域の魅力を見つけたり、自分自身の興味関心に向けてひたすら探究・創作できる機会をつくろうと考えています。フリースペースや、日常での子どもたちとのつながりを通じて、子どもたちと地域の大人の接点が多様になり、子どもたちの居場所の確保と愛郷心を育む機会を作りたい。ハタチ基金の助成をいただき、2022年4月より活動を開始しました。

昨年度の活動の様子

■地域の大人たちにも支えられる中での試行錯誤と希望

活動を始めたばかりで、まさに今、子どもたちとの関係をつくり始めているところです。
まずは、子どもたち自身が、自分で選んで過ごし方を決められる環境をつくることが大切だと考えています。無邪気に遊んでいる姿を見たり、子どもたちと話をしながら、一緒に楽しめる環境をつくりたいと思っています。みんながどんなことに興味を持ったり、楽しいと感じるのかを探りながら、小さいことを一緒にやってみることから始めています。
また、街の中に子どもたちが自由に過ごせる拠点をつくり、子どもたちが街へ出るきっかけをつくりたいと考えています。そこでは、子どもたちが自由に創作できる環境を整え、子どもたちがつくったもの、描いたものなどを地域へ発信する機会もつくっていきます。

そんな中、楢葉町の方々に拠点をつくりたいという話をしたら、今は使われていない商店のスペースを貸してくださることになりました。私たちが考えていることに共感し応援してくれているため、とても心強く支えられています。

これからお借りする予定の元商店

外から来た人間が単独で行うのではなく、地域の人たちと一緒に事業を育てていくことで、その土地に根付いて持続可能な活動になる。その第一歩となるような希望と可能性を感じています。今後も、地域の人との関わりを大切にしながら、子どもたちと一緒にみんなが楽しめる居場所をつくっていきたいです。

寄付者の皆さんへのメッセージ

私は、楢葉町の人たちから、当たり前の日常の大切さを教えてもらいました。まだ歩み始めたばかりで至らない点がたくさんありますが、平穏な日常がいかに大切なものかを噛みしめながら一人一人の子どもたちと向き合っていきたい。この町で暮らす子どもたちと、共に考え、感じ、一緒に成長して、一緒にもっとこの町を好きになっていきたいと思います。今後とも応援のほどよろしくお願いいたします。

法人・団体からのご支援はこちら

個人の方からのご支援はこちら

福島県相双地区初!子どもや若者の居場所事業「原町リトリート」オープン
2022年7月19日

2022年6月、福島県南相馬市に地域で暮らす子どもや若者の居場所「原町リトリート」がオープンしました。この施設は、家でもない、学校でもない、第3の居場所となるように作られました。放課後に寄って宿題をしたり、ほっと一息つく場所として利用をしたり、地域の人たちと一緒にイベントを開いたり、用途は様々。福島県東部、太平洋の沿岸部を位置する相双地区での子どもや若者の居場所事業は初めての試みです。

ハタチ基金の助成先団体とひとつ、NPO法人トイボックスは、震災後からこの地域で被災した子どもたちや地域の人たちを支え、コミュニティづくりを行ってきました。新たな施設をオープンさせた思いをご紹介します。

震災から11年経った今もなお、その影響は福島の子ども達の日常にも影響を与えています。相双地区では、UターンやIターン、世帯分離等、環境に変化がある家庭が多く見受けられます。家庭環境の変化の中で、学校生活や地域での暮らしに馴染めない子どもや若者は、自分のペースで過ごす時間を持つこと自体が難しくなりがちです。
また、人口の少ない地域では、地域に見守られる安心感がある一方で、他人の目がどこにあるのかわからない不安もあります。そのため、世間体を危惧する大人のはからいで、子どもたちの行動範囲を制限してしまうこともあります。
私たちは、 子どもたちがのびのびと自分らしく過ごせる場所にできたらと考えています。

原町リトリートは、南相馬市に住む子どもや若者を対象とした場所です。基本的には利用登録をした後の利用となりますが、利用登録がなくとも気軽に参加できる催しもあります。
家でもない、学校でもない、第三の場所を、それぞれのニーズにあわせて利用していただけます。

家では穏やかに過ごせるように、夏休みの宿題をする場として原町リトリートを利用予定の子どももいます。
ひきこもり状態から生活環境を変える決断をした若者が、ほっとできる場所を確保するお守りがわりに利用登録することもありました。ある女の子がふらりと訪れたこともありました。
そのくらい気軽な場所になって私たちも嬉しいです。少しずつ、地域の子どもや若者の居場所として動きだしています。

こうして震災後の地域の状況にあわせた活動ができているのも、皆様が関心を寄せ続けてくださり、ご支援いただいているおかげです。心より感謝申し上げます。

今後とも子ども達へのあたたかい見守りとご支援を、よろしくお願いいたします。

原町リトリートホームページ

法人・団体からのご支援はこちら

個人の方からのご支援はこちら

地域と学校を超えた学び合いの場 マイプロジェクトを通して岩手を深く知る
2022年6月24日

2021年度にハタチ基金の助成先団体となった、一般社団法人いわて圏。岩手の地域振興につながる公益的・社会的事業のプロジェクトパートナーとして、県内自治体をはじめ、各種団体、民間企業等と連携し、政策案件やプロジェクトを担う活動を行っています。

中でも、今全国的にも注目されている、高校生を対象としたマイプロジェクトの支援を通して、“学びの生態系づくり”にも注力しています。岩手の高校生の多様な学びを支えるいわて圏の活動をご紹介します。

全国のマイプロジェクトを発表する祭典「マイプロジェクトアワード」

マイプロジェクトは、身の回りの課題や関心をテーマにプロジェクトを立ち上げ、実行することを通して学ぶ、 探究型学習プログラム。地域や身の回りの課題などを通して、高校生自らがテーマを決めて探究していく取り組みです。2022年度から、学習指導要領の改定に伴い、「総合的な探究の時間」が高校で必修化されたことによって、ますます注目されています。

2022年1月に「全国高校生MY PROJECT AWARD 2021 (以下、マイプロジェクトアワード)」の県内大会  ”岩手県Summit ” が開催されました。(主催:マイプロジェクト岩手実行委員会、共催:岩手県立大学、後援:岩手県教育委員会)
この大会は、自ら気づいた問いを探求し、実際に行動してきた高校生のための「実践型探究学習アワード」活動の発表や、参加者との対話を通して次の一歩を考える、新しい学びや気づきがたくさん得られる祭典が、全国各地で開催され、岩手でも行われました。
いわて圏は、認定特定非営利活動法人カタリバと連携し、高校における実践型探究学習「全国高校生マイプロジェクト」の岩手の地域パートナーとして、2021年度から 岩手県Summitの運営に携わりました。

今回で4回目の岩手県Summitには、県内17の高校から102名の高校生が集結し、71プロジェクトの発表や参加者との対話を通して次の探究内容を考えました。71プロジェクトが12チームに分かれ、チームごとにセッションを開始。各チームには、岩手にゆかりのある28名の大人たちもサポーターやファシリテーターとして参加し、プロジェクトや地域について対話や議論が行われました。

岩手県Summitでのチームごとの様子

参加した高校生の声

参加した高校生にとったアンケートでは、自分たちの地域だけではなく、他の地域や高校生や大人、様々な人たちの考えを知る機会になったという声が多く寄せられました。

「同じ高校生の方に意見や感想を貰えたし、大人の方からもフィードバックを貰えた。さらに他の高校の方たちの活動を知り、自分たちの活動にも活かしていきたいと思えた。」

「”高校生の活動”と一括りにできないほど多種多様な視点で活動している人が多かった。高校に入ってから外部との交流ができなかったので、このような機会をいただけて他地域の方のお話を聞けて楽しかった。」

これまでの活動範囲では見えていなかった”今後に向けてのヒント”が見つかるような、地域と学校を超えた学び合いの場となり、私たちにとってもさらに活動内容をブラッシュアップする素晴らしい機会となりました。

2022年度の活動について 

2022年度からは、岩手県内の高校生がマイプロジェクトを通じた多様な学びが得られる環境を構築することを目的に、後発地域での普及と、県内全域でマイプロジェクトを実践する高校生と、高校生をバックアップをする伴走者の支援体制を確立するための取り組みを行います。

学習指導要領の改定に伴い探究学習が必修化された今も、十分な理解と経験が得られていない高校が多く、探究学習の授業実践やプログラムづくりに混乱している傾向があります。さらに、学業と部活の両立で多忙な環境や、様々な体験とインプットが得にくい環境で高校生の主体的な学びが得られないことも課題です。

今年度取り組む、高校生の探究学習やマイプロジェクト支援を起点とした、“学びの生態系づくり”によって、これからの時代にあった高校生の多様な学びの環境が構築されることを目指して活動をしてまいります。

法人・団体からのご支援はこちら

個人の方からのご支援はこちら

人口流出が加速する被災地 地域の“大人”を知って担い手を育てるプログラムがスタート!
2022年5月22日

東日本大震災以降、被災した地域では、地域の若者の人口流出が大きな課題となっています。さらに、地元の就職先の減少に伴い、地域の担い手不足も深刻です。これから社会に出て活躍する高校生世代が、地元産業に触れる機会や地域との接点を持つ機会が少ないことも原因になっていると言われています。今回は、その課題を解決へと導くために活動をするNPO法人かぎかっこPROJECTの取り組みをご紹介します。

NPO法人かぎかっこPROJECTは、2021年度にハタチ基金の助成先団体となり、被災した地域の高校生が地域の大人を通して、地元産業について学んだり地元の魅力を知ることで、地域の担い手となっていくことを目的とするプログラムを提供しています。

先日行われたインタビュー形式の中高生を対象としたプログラムでも、生徒間で様々な気づきや発見が生まれたそうです。NPO法人かぎかっこPROJECTの神澤祐輔代表からの報告です。

NPO法人かぎかっこPROJECTの神澤祐輔代表

 この度、皆さまのご支援のもと、地域の担い手発掘・育成プログラムを岩手・宮城・福島の3県で実施しました。

本取り組みは、中高生が地元の働く大人にインタビューを行い、地元理解を深めるとともに若者と地域の接点をつくり、そこから地元産業について学ぶことを目的としています。
東日本大震災以前より地方の担い手不足は課題にありましたが、近年ではUターン・Iターン人口も増えるなか、いま地域で暮らす中高校生世代が身近にある様々な仕事や産業に触れ、地域との接点を持つことが今後の地域の未来に大きな力をもたらすと考えます。

福島県白河市の石倉煎餅店でのインタビュー
宮城県女川町のonagawa factoryでのインタビュー

今回は宮古市、盛岡市、石巻市、白河市からは高校生が参加。女川町からは中学生が参加し、延べ500名ほどの生徒が、20社にご協力をいただきインタビューを行いました。
普段は学校の先生や家族としか大人と接することがない中高生にとって、初対面の大人に質問をし、話かけるということは彼らにとって難しいことです。事前に活動の中でたくさん質問を考え、インタビュー中の表情やリアクション等も練習して本番に臨むのですが、中高生たちはどこか緊張した様子を隠せません。そんな初々しさも地元の大人の方々は優しく受け入れて、お店の中を見学させてくださったり、お店の方から中高生へ質問してくれたり、お土産を持たせてくれたりと、若者を歓迎・応援する姿勢を感じます。

地元の魅力を付箋に書き出し、参加者で共有する様子
オンラインで行われた活動の報告会

インタビューを終えた中高生たちは「緊張したけどたくさん話が聞けて良かった」「こんな素敵な大人が地元にいるなんて知らなかった」「他のお店にも話を聞きに行ってみたい」と前向きな感想を挙げる参加者も多く、こうした経験が地域の中でたくさん行われることが、いずれ「あそこでこんなことやったなあ。あの人いい人だったなあ」と、地元を振り返る思い出のひとつになります。
インタビューを受けた地元の大人の皆さんも「普段中高生と話す機会がほとんどないので来てくれて嬉しかった」「この前インタビューに来た子たちは元気?」など、若者との交流を前向きに捉え、気にかけてくださいます。
こうしてお互いの心に思い出として地域が残るためには、顔が見えて、声が聞こえて、一緒に笑い合える距離感が一番必要です。この時代、たくさんの方法で情報収集ができますが、情報ではなく感情を共有できるからこそ、心に残る思い出、そして誰かに伝えたくなる自分の想いに変わるのです。

私たちは、これからも地方で暮らす若者が地元の良さに気づき、毎日を肯定して、楽しく生きるためのヒントを、取組を通して伝えていきたいと思います。そして、若者と一緒に東北を盛り上げていきたいと思います。今後とも応援よろしくお願いいたします。

法人・団体からのご支援はこちら

個人の方からのご支援はこちら

福島の農園を訪ね、今の福島の農業を知る【キッズドア・中高生の農業体験】
2022年4月21日

皆さんは、福島の農作物を日常で食べていらっしゃるでしょうか。ハタチ基金の助成先団体のひとつ、NPO法人キッズドアでは、この春、福島の農園で中高生が農業体験をする中で現状を学びました。キッズドアでは、震災の影響を受けた世帯や、経済的に困窮している世帯の中高生を対象に無料学習会を開催するなど、家庭環境に関係なく学びの場を提供する活動を行ってきました。こうした課外活動も、福島、日本の課題を子どもたちに伝える重要な学びの場となっています。今回は、農業体験で子どもたちが、見て、感じたことをお伝えします!

放射能汚染、風評被害を乗り越えて 安心・安全な農作物を届けていきたい

2022年3月、晴天の中、仙台から貸切バスで福島県二本松市へ。
中学生12名、高校生5名、大学生(ボランティア)5名、スタッフ3名、総勢25名が、二本松農園での農業体験『スタディー・ファーム』に参加しました。

豊かな自然と大地を有する福島県で、新鮮で安全、美味しい農産物を生産しようと日々努力し、農業を生きがいにしながら全国の消費者と結びついてきた農業生産者の方々。
しかしながら、東日本大震災における「福島第一原発事故」の影響により、農業を営む上での基本である農地が放射能に汚染されてしまったばかりか、安全性を充分確認しているにも関わらず「福島県産」というだけで消費を敬遠する行動、いわゆる「風評被害」が広まってしまいました。

「NPO法人がんばろう福島、農業者等の会」では、福島第一原発から50㎞地点にある二本松農園を主な農園として福島県内の54の会員農家と連携。福島という地で今後も安全で美味しい農産物を作り続けるとともに、再び全国の消費者の方々と結びついていきたいと決意しました。
いつの日か福島県が「世界でいちばん安全でおいしい農産物を生み出す希望の大地」にすることを目標に、この団体は設立、運営されています。

二本松農園到着後、小高い丘の上に上り、代表の齊藤登さんよりお話を聞きました。

~原発事故が農業に与えた影響と、放射能対策~

実は、ほとんどの農地で除染は行われていません。行われているのは「吸収抑制」対策です。セシウムは田んぼと畑にあるものの、塩化カリウムを散布すると農作物は放射性物質よりも先にこれを吸収しセシウムを吸わずに育ちますので、稲や野菜からは放射能は検出されません。とは言えいまだに風評被害はあります。
大半の人はこのメカニズムを知らない。みんな「なんとなく症候群」に陥っているだけなのです。何十年も前、「水俣病」がニュースになり、「水俣」という名前がついている農作物は全国的に売れなくなりました。現在でさえ「水俣みかん」は売れないので「熊本みかん」として売っているという現実があります。
10年前から福島県内の農家と連携し、東京上野に毎週通いながら直売を続けてきました。直接お客さんに会って話すと、みんな理解してたくさん買ってくれます。福島農業のマイナスイメージを消すためにはだいぶ時間がかかると思いますが、だんだん減っているという手ごたえはあります。
合言葉は「顔の見える関係に風評被害は無し!」

3チームに分かれて農業体験がスタート。マリーゴールドの種まき、スティックセニョールの苗植え、牛糞堆肥の土嚢詰めを行いました。最初は牛糞と聞いて「臭いから嫌だ」と言っていた子も、実際に触れてみると全然臭いが気にならず、黙々と作業をこなしていました。

終わった後は、杵と臼を使った「餅つき」を行いました。餅つきを初めて体験した子どももいます。もち米3升(30合)を、ぺったんぺったん、滑らかになるまでついていきます。

つきたての柔らかいお餅をきなこ、あんこ、ピーナッツや野菜汁にいれて昼食となりました。二本松農園のスタッフとそのご家族の皆さんと一緒に、美味しくいただきました!天候にも恵まれて外で食べるごはんは最高の味でした。

農業体験を通して、中高生が感じた“放射能と農業”

午後からは、二本松農園近くの二本松市地域文化伝承館へ行き、今日の学びをみんなでシェアしました。

<学んだこと>

・放射能の強さは原発からの距離ではなく、風向きの影響が大きい。
・風評被害は11年経った今でも存在する、私たちがもっと知り広められたいと思った。
・言葉だけでイメージを作るのは危険、何となくで決めつけるのではなく「知る」ことが大切。
・野菜を育てるのには時間や手間暇がかかるので、もっと感謝して食べよう。

<気づいたこと>

・実際に風評被害に遭われた方の大変さを少し実感することができた。しかし放射能は怖いと思う気持ちもある。
・東京まで毎週一人で販売に行くという話を聞いて大変な苦労だと思った。今までと違う売り方には農家の協力性や努力がある。
・里山の景色がきれい、外の風にあたって食べるご飯はおいしい。
・多くの家族が集まり協力して行う農業は素敵だなと思った。
・農業は地道な作業を繰り返すことで成り立つ営みだと思った。
・二本松農園のスタッフは若い人が多くてびっくりした。

<感想>

・農業体験や餅つきなどの体験をして、食に対する価値観が変わった。
・牛糞を土嚢袋に詰める作業と言われて正直引いたが、その仕事をしてくれる人がいるからこそ農業は成立していると気づいた。
・いつも一人で種植えをやっていると聞いて、腰と身体の体力がすごいと思った。

<私たちにできる行動・アクション>

・なんとなくではなく根拠をもって大丈夫だと勧める。
・色々な体験に参加してみる。
・食材を無駄にしない心を持ち、ありがたみを感じながら食事する。
・身近な人から情報発信。
・人との関わりを大切にする。
・辛かったり自分がしたくない仕事でも自分がすることで得られるものがあると前向きに考える。
・今日感じた良い所や魅力的な所を家族や友達にしっかり伝えて農業に興味をもつ人を増やす。
・農業体験をしたことで「食」をつくる大変さを知ったので「食」を大切にする。
・「食」には環境も影響するので、ごみを減らす努力をする。
・モノを買う時、なんとなく安いから…ではなく、理解して買うようにしたい。
・まず自分で確かめようと思う。
・家庭科で習ったように、物を買うことはその商品に投票することだという言葉を実感した。理科と社会をもっと勉強しなきゃ!

<二本松農園 齊藤登さんより>

「食」は生きるために絶対必要なもの。そもそも食をお金で操ること自体に疑問を感じている。お金の無い人は食を手に入れられない、ウクライナで餓死するという世の中を変えていきたい。どんな状態にあっても誰しもが「食」を得られるように。これからも「顔の見える関係」を大事にしていきましょう。

あっという間の一日でした。晴天に恵まれた絶好の農業日和。ワークショップでの子どもの発言からは、成長ぶりがうかがえました。今度はまた収穫の時期に訪れたいです。

二本松農園の皆さん、本当にありがとうございました!!

→ 二本松農園HP

父の死、震災で、人との関係や 地域コミュニティの大切さに気づく【311特別企画:助成先団体 卒業生の“いま”】
2022年3月10日

東日本大震災の発生からまもなく11年。
東北3県で活動するハタチ基金の助成先団体で支援を受けた子どもたちの、成長した姿をお伝えする企画シリーズ。
今回は、NPO法人キッズドアの支援を受けていた卒業生のお話です。キッズドアでは、震災の影響を受けた世帯や、経済的に困窮している世帯の中高生を対象に、定期的に無料学習会を開催しています。中学高校に渡り、学習会に参加した佐々木さん。現在は大学生となり、将来の夢に向かって勉強に励んでいます。

仙台の無料学習会「タダゼミ」に中3の10月から通いました。中学では 吹奏楽部に入っていて、その年は運良く大会で勝ち進んだた め、10月になるまで部活一辺倒でした。部活を引退して高校受験に向き合ったときに、「このままの成績では志望校は絶対にムリ! 塾には経済的にいけない、どうしよう…。」
そう思っていたところ、学校に置いてあったチラシでキッズドアの無料学習会を知り、家族と相談して通うことにしました。 数学が苦手だったので、とても丁寧に教えてもらいました。

志望校に進学し、引き続きキッズドアの大学入試用学習会 「ガチゼミ」にいくことにしましたが、吹奏楽部と市立オーケストラでの活動で忙しく、月に1回か2回行くのがやっとでした。 テストの直前に駆け込んで「ここがわかりません!」といって教えてもらっていました。しかしこのままでは志望大学への進学は難しいと考え、3年生の4月に部活を辞める決断をし、ガチゼミにきちんと通うこ とにしました。わからないところや苦手なところをどんどん質問して、教科によっては学生ボランティアさんに私の専任になっていただきながら、とても親切に教えていただきました。

そのおかげで無事、志望校に合格できました。キッズドアの学習会がなかったら、志望高校にも大学にも行けておらず、 今の自分はなかったのではないかと思います。

たくさんの人と関わることの楽しさを伝えたい

現在、週1回、キッズドアが運営する、板橋区中高生向け学習会「学び i プレイス」でボランティアをしています。この学習会は、勉強や成績アップだけを目指すのではな く、勉強しつつ様々な相談にものるような子どもたちの放課後の居場所です。キッズドアの他の学習会では、生活困窮者や一定の条件で参加者や人数が決められるのに対し、ここは自由参加型で誰でも来られる場所なので、勉強はもちろん、話をしにくるだけの生徒もいます。

私は東日本大震災当時、小学4年生で、大きな被害には遭いませんでしたが、マンションの住人同士の交流が盛んで、お互いに気を遣ったり食材を持ち寄っての炊き出しなどが豪華だったり、地域コミュニティでの交流の大切さを感じました。 たくさんの人と関わる楽しさや大切さに気づいたのはそれがきっかけです。
子どもたちの悩みや関心事に親身に耳を傾けることから、人と関わることの楽しさ、勉強の面白さ、将来への興味などが生まれてくるのではないかと思います。

父の夢を叶えようという思いが、勉強する原動力 

私の父は、震災の年の夏、急性の病気で倒れ、翌日亡くな りました。震災も身近でしたが、大切な家族が亡くなり、それがどんなに自分と近しい間柄の人だったとしても、それで世の中が大きく変化するわけではなく、世間では同じような日常が続いていること、自分もだんだんその人が欠けた生活に慣れ ていくことに寂しさを感じた記憶があります。

少ししてから、生前の父がセカンドキャリアとして日本語教師を目指していたこと、資格試験直前での死だったことを知りました。代わりに父の夢を叶えようという思いが、当時、勉強し ようという原動力になりました。中学、高校とキッズドアのボランティアさんやスタッフさんに応援してもらったことを感謝するとともに、今度は自分が何か人のためにできることを実行に移すために、日本語教師になることも視野にいれながら勉強していきたいと思っています。

この文章は、NPO法人キッズドア 2018年度事業報告書より転載させていただいています。

ハタチ基金では、震災から10年の節目に、「2031年 復興のその先を切り拓く力を、子どもたちに。」といったメッセージを発信しました。このメッセージには、残りの活動期間で、東北の未来の復興を支える社会のリーダーを育てること、東北から社会を変える新しい仕組みをつくることを目指す思いが込められています。

東日本大震災で被災した地域の子どもたちを、みんなで一緒に支えていきませんか。

法人・団体からのご支援はこちら

個人の方からのご支援はこちら

東日本大震災から11年 被災した私が支える側になって感じた、子どもに関わる中で大切なこと【ハタチ基金卒業生のこれから】
2022年3月11日

今日で、東日本大震災の発生から11年を迎えました。
被災経験をした方、友人や家族が被災した方など、あの日の経験は様々です。今日は、日本中の人たちに、東北への思いを巡らせていただけたらと願っています。

私たちハタチ基金の活動も間もなく11年を迎えます。復興のフェーズも年々変わり、2020年には、震災当時子どもだった若者たちがリーダーとなり新しい未来を地域に作っていくことを後押しできるよう、ハタチ基金の支援の形も変えていくことにしました。

今回は、大人になったハタチ基金の卒業生に、社会に出てどんなことをやってみたいのか、今の思いを伺いご紹介します。
小学6年生のときに岩手県大槌町で被災し、その後、助成先団体のNPO法人カタリバが運営するコラボ・スクール大槌臨学舎に通った卒業生に、代表理事の今村がお話を伺いました。

藤沢慶子さん】

岩手県大槌町出身。震災当時は小学6年生で、中学高校とコラボ・スクール大槌臨学舎で放課後を過ごす。その後、宮城県の大学の教育学部に入学。大学3年生のときに休学し、宮城県女川町にあるコラボ・スクールでインターン生として働く。2022年4月より、認定NPO法人カタリバの職員として社会人生活をスタートする。

今村:こんにちは!元気だった?

慶子さん:はい、おかげさまで。この春から社会人になります。

今村:初めて出会ったのは、慶子が中学生の頃だったよね?それが社会人になるなんて。

慶子さん:いやあもう、カタリバの方々にはお世話になりっぱなしです。しかも、春からはカタリバの職員として働くという(笑)

今村:そうなんだよね。ほんとにありがたいです。慶子を始めとするコラボ・スクールで出会った子たちとは、いつか一緒に働きたいと思っていたので、とても嬉しいです。

震災で失われた子どもたちの居場所

今村:私たちが初めて出会ったのは2012年だったかな。震災後で、まだ大槌町には何もなかった頃だったね。

慶子さん:そうですね。校舎もなかったので、お寺の隣にある公民館で過ごしていましたね。

津波が引いた後の大槌町の様子

今村:慶子にとって、震災はどんな経験だったのかな。

慶子さん:小学校6年のときに震災を経験したので、私にとっては、傷というよりも人生の中のひとつの出来事になっています。当時、自宅が津波で流されてしまったのですが、友だちのお父さんやお母さんがいなくなってしまったとか、一緒に小学校に通っていた子が内陸のほうに引っ越してしまったとか、間接的にも色々な経験をした感じがします。
すごくつらかったという記憶はあまりなくて、ちょうど思春期の成長段階で、すごく周りを見るきっかけになりました。周りの人にとても気を遣うようになりましたし、社会に目を向けるきっかけになったと思います。

今村:そうなんだね。当時、周りにいた大人たちは、慶子から見てどんな風に映っていたのかな?

慶子さん:大人はみんな、すごく忙しそうにしていました。震災前は、地域に子どもがいるだけで近所の大人たちが話しかけてくれたり、放課後には「おかえり」って地域の人たちが声をかけてくれることもあったのですが、震災以降は地域の人たちが顔を合わせることもほとんどなかったですね。

今村:確かに道も歩けなかったから、みんな仮設住宅か避難所か、それぞれのおうちにいたよね。なかなか外を出歩くっていうことがしばらくなかったね。

慶子さん:そうですね。知っている人に会うことが、ほとんどなかったですし、会ったとしても、避難所で何か仕事をしているとかいつも忙しそうにしていて、子どもはちょっと置き去りにされている感覚がありました。

コラボ・スクールで起きた転機 そばで支えてくれたスタッフ

今村:そんな中、カタリバが運営するコラボ・スクールに来てくれたね。コラボ・スクールでの経験は、当時はどんな風に受け止めてましたか?

慶子さん:私は中学高校時代に通っていたのですが、中学時代は「勉強する場所」と思っていました。みんなで中学校から放課後バスに乗って、さあ勉強するぞっていう気持ちでコラボに向かっていました。当時は祖父母の家で暮らしていて、勉強に集中できる自分の部屋のような場所がなかったので、コラボでしか勉強していませんでした。

今村:気持ちも落ち着かなかったと思うけど、ちゃんと勉強できていたんだったらよかった。

慶子さん:みんなで楽しく勉強できるように環境を整えてもらっていましたね。やらされている感じはなかったです。

高校のときは、また違った意味での居場所になりました。

今村:どんな居場所になったのかな?

慶子さん:何か新しいことに挑戦してみようとか、将来のことを考えるきっかけを与えてくれる場所でした。例えば、ただ勉強するのではなく、英会話で現地の方と話してみる機会があったり。コラボで地域の外の人と出会ったりする中で、少しずつ広い社会に目を向けることができるようになって、少しずつ自分が勉強できるようになってきたっていう自信もつけられるようになりました。

高校生の頃。英語で町を案内するツアーを行いました。

今村:そうなんだね。高校時代に特に印象に残った人やエピソードはありますか?

慶子さん:いっぱいあるんですけれど(笑)高校2年生の冬休みの出会いは今でも心に残っています。当時、参加したイベントに、すごく活動的な高校生がいたんです。自分のしたいことがはっきりしていて、それに没頭している子でした。

その子と接しているうちに、これまでの自分は、自分のやりたいこともわからないし、そもそも自分と向き合えていなかったことに気づいたんです。他の人が自分の人生を生きてることを目の当たりにしました。何かしたいけれどどうしたらいいかわからない、そもそも自分のやりたいことって何だったんだろう?とすごく悩んでいました。そんな私に、たまたま通りかかったコラボのスタッフの方が気づいてくれて、何かあったの?って声をかけてくれたんです。

今村:よほどの表情だったのかな。

慶子さん:私はいつも通り挨拶をしただけだったんですけれど、異変に気づいてくれて。そこから、どうしたらいいかわからないと相談をし始めたんです。どうしようって混乱していた私に、ちょっと行動してみようよって話をしてくれたのがすごく印象に残っています。いつもスタッフの方が見守ってくれてるんだなと感じました。

今村:あの頃、私たちは、どういう機会をつくったら、最終的にみんな自立した大人になっていけるんだろうって考えていましたね。今この瞬間の勉強も大事なんだけど、人生の中で残っていく経験とか、自分を変えていくきっかけを、どうやってつくっていけばいいのか、私たちも悩んでいた。模索しながら開いたイベントだったわけなんだけど、そこで、慶子の気持ちを大きく変えるきっかけ、今まで大槌にはいなかったような高校生との出会いがあったっていうことなのかな。

慶子さん:そうですね。

今村:それはすごくよかった。ハタチ基金への寄付でそういったイベントやコラボ・スクールの運営もできているので、ほんとありがたいことですよね。

慶子さん:やってみたいって言ったら、すぐにコラボが応援してくれたので、今思うと、自分にとって貴重な居場所だったんだろうなって思います。

支えてもらった私が、子どもたちを支える側になって感じたこと

慶子さん:高校卒業後は、教師になろうと思って宮城県の大学の教育学部へ進学したのですが、大学生活3年目のときに1年間休学してカタリバで働きました。

今村:そうそう。慶子は、子どもたちを支援する側になってカタリバの活動に参加してみたいということで、女川町のカタリバでインターンシップで働いてくれたよね。どんな経験だったのかな?

慶子さん:1年間の期限付きだったんですが、職員と全く同じ仕事をさせていただきました。中学生の前に立って勉強を教えるとか、一緒にイベントをつくったりもしました。

実際に大学で教育の勉強もしていましたが、全然現場のことを知らないっていう課題感がずっと自分の中にあって。子どもたちはどういうことに悩んでいて、自分はどういうサポートができるのかを考えているうちに、現場で挑戦してみたいという気持ちになって働かせてもらうことになりました。

インターンでカタリバで子どもたちの前で話す慶子さん

今村:実際に現場で子どもと接してみてどうだった?

慶子さん:子どもって毎日様子が変わっていって、現場を作ることって、ただ勉強しただけではできることじゃないって思い知りましたね。毎日毎日の積み重ねがあるからこそできることっていうのを、色んな機会から感じていました。

今村:女川では、同じように震災を経験した子どもたちを支援する側になる機会もあったかと思うんだけど、震災を経験した者だからこそできた配慮とか、逆にそれゆえに動けなかったこととかありますか?経験者だからこその悩みも色々あったんじゃないかなと思うんだけど…。

慶子さん:境遇が近いから共感できたかなと思ったことは、簡単にがんばろうと言えなかったことですね。自分がポジティブな気持ちになってほしいと思って、ポジティブな声をかけているけれど、なんだか見透かされているような感じがしました。

慶子さん:震災当時、大人がみんな忙しくて子どもに向き合っている状況じゃなかったことを経験してきた子どもたちは、すごく大人や人を見る力がありますね。そういった子どもとの関わり方は、教える立場、教育者の立場で関わってちゃだめなんだなと思いました。人間と人間、1対1の関わりじゃないと伝わらないことを身に染みて感じました。

今村:たしかに、震災を経験して、当たり前だったものがなくなった経験とか、大人たちが慌ただしくて子どもたちどころじゃないっていうことを、大事な幼少期に経験した子たちの大人の見方ってすごくまっすぐですよね。そういった子たちに対して、自分も被災経験があるだけに、逆にどう関わったらいいのか悩んだことはあったのかもしれない。

春から社会人に 絶対に必要なものを社会に広めたい

今村:春から社会人だけど、学校の先生にはならずにカタリバに入ってくれますね。慶子の中でどんな考えがあったのかな?

慶子さん:学校の先生になる選択肢は確かにありましたね。でも、就職活動をしている中で、中高生のときに関わっていたコラボ・スクールの大人たちが持つ価値観を思い出したりしていたんです。自分の将来と向き合う中、絶対に必要だと自分が信じるものを社会の中で広めていきたいっていう思いがどんどん大きくなっていったんです。NPOで社会課題と向き合っている人たちと一緒に働いてみたい、社会に必要なものを広めていける環境がここにはあると思ったので、申し込みました。

今村:慶子がそんな決意を持って、カタリバで働いてくれることになって本当に嬉しいです。今日はありがとうございました。

(2021年12月開催 ハタチ基金チャリティコンサート内でのインタビューより)

残りの活動期間でハタチ基金が目指すもの

ハタチ基金は活動期間を20年と決めて、東日本大震災発生直後に活動をスタートしました。震災から11年を経て、活動期間ももうすぐ11年。ハタチ基金としては、折り返し地点を迎えています。残りの期間、どんな活動方針にすれば復興のフェーズに合わせた支援ができるのか、私たちも考えてきました。

これまでのハタチ基金では、活動を始めて10年以上経っている、キャリアが長い団体を助成先団体として選ばせていただき活動の後押しをしてきました。一方、震災を機に、たくさんの方々が自分たちで地域のために新しい取り組みを始めたり、団体を立ち上げて活動をするようになりました。そのため、これからは、長く地域に根ざして取り組む団体を助成先団体として選び、ハタチ基金への寄付を使っていただくことにしました。

震災復興というフェーズから、地域そのものの力を高めて伸ばしていくフェーズへ。ハタチ基金の活動期間が終わった後にも、地域の人たちや団体が子どもたちを支えていけるその日まで。

東日本大震災で子どもたちが経験したことを、強さや明るさに変えていけるような支援の形を目指していけるよう活動してまいります。

法人・団体からのご支援はこちら

個人の方からのご支援はこちら

どこにいても双葉町と繋がり続け、いつか福島に戻って還元したい【311特別企画:助成先団体 卒業生の“いま”】
2022年3月3日

2022年3月11日、東日本大震災の発生から11年が経ちます。東北3県で活動する助成先団体で支援を受けた子どもたちが成長した姿をお伝えする企画シリーズ。

今回は、福島県双葉町出身の大学生のお話です。震災で自宅は避難区域となり、中学からいわき市で暮らした、石井美有さん。高校はふるさとの隣町、広野町に新設された「ふたば未来学園高校」に進学し、認定NPO法人カタリバが運営するコラボ・スクール「双葉みらいラボ」で放課後を過ごしました。当時の記憶と、未来に向けた思いをご紹介します。

震災当時は小4 その後の記憶はあいまいで

今も全町避難が続く、福島県双葉町で生まれ育ちました。
地震があったのは、教室で帰りの会をしていたとき。その後からしばらくの間の記憶はあいまいで、ところどころしか覚えていません。
最初の1、2日くらいは小学校の体育館に避難して、川内村で母と祖母と合流しました。両親は教師で、母が勤務していた小学校は津波も来ていました。なので再会できたのは、友だちより少し遅かったかな。

バスに乗って埼玉のスーパーアリーナに集団避難し、廊下に段ボールを敷いて2週間ほど過ごしました。 その後、祖父母のいる地域の小学校に転入し、中学の入学と同時に、いわき市に引っ越しました。 中学は生徒数が多いマンモス校で、幼馴染もおらず、人間関係などが大変なこともありました。

カタリバの「双葉みらいラボ」は学校の中の私の避難場所

高校は、途切れていた故郷との繋がりを探すような形で、前年開校したばかりのふたば未来学園高校に行きました。カタリバのコラボ・スクール「双葉みらいラボ」がふたば未来学園で始まったのは、高1の秋でした。

毎日のように、放課後にみらいラボに通っていました。私の場合は、勉強する場というよりは、そこでスタッフといろんな話をする時間が貴重でした。最初は好きな本や漫画の話をしていましたが、そのうち、震災のときのことや転校先の小学校でいじめられていたことなども話しましたね。震災後の転校でいじめにあったあたりから、クラスで友だちを作るということはしなくなりました。だから高校でもクラスに友だちはいませんでしたが、部活では親友と呼べる人ができました。

高校では演劇部に入り、脚本を書いていました。震災体験など、自分たちの経験したことをもとに芝居をつくり、部員同士の内面的なぶつかりあいも起きました。演劇を作り上げる中で、激しく部員と衝突したりして、ストレスで胃潰瘍になったこともあります。部員と取っ組み合いのけんかになってしまったとき、みらいラボのスタッフのなべさんが間に入って話を聞いてくれました。
当時は負の感情をコントロールする術がなかったんですよね。どんな自分をさらけ出しても、頭から叱りつけることなく、受け止めてくれたのがラボでした。日常のもやもや、将来のこと、生き方などを話すことで自分の感情を言葉にできて頭の中が整理されていく。みらいラボは私にとって学校の中の避難場所みたいなところでした。

社会人経験を積んで力をつけて、いつか福島に戻って還元したい

父がよく手料理をふるまってくれるのですが、そんな父に憧れて中学生のころからよく料理をしています。演劇部の部員にもオムライスを作って「おいしい」と喜んでもらって。だから漠然と「カフェのオーナーって、いいかも」と思っていました。
そうしたら高校が、地域との交流カフェを校舎につくると聞きつけました。オープンは私の卒業後でしたが、オープンの準備は手伝いました。高校のカフェは、訪れた地域住民との交流を通して地域の課題に向き合い、解決に向けて共に知恵を絞る場というねらいがありました。

震災から10年経っても原発の問題は解決されていませんし、双葉郡の人口は減っています。だからこそ、人と人が自分の想いを自由に発言して、お互いに分かりあえるような 居場所が必要だと思います。
今は大学で経済学や経営学を学んでいます。「卒業後も福島とのつながりを継続していきたい」と考えて、ふたば未来の先生と一般社団法人「結び葉」をつくり、双葉郡の特産品を東京で販売するサポートもしています。

東京に住んでいますが、 双葉町が今どんな状況で、これからどうなっていくのか、常に情報は集めています。卒業後については、まだ具体的なプランはありません。
でも、社会人経験を積んで力をつけて、いつか福島に戻って、地域や高校、お世話になった人たちに還元したいと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

いつかふるさとのために恩返しをしたい。東日本大震災を経験した子どもたちの中には、こうした思いを持つ子が多いように感じます。震災の悲しみを強さに変えて進む子どもたちの背中を見て、私たち大人も震災の記憶を次の世代に伝えながら、子どもたちを応援していきたいと改めて思います。

ハタチ基金では、震災から10年の節目に、「2031年 復興のその先を切り拓く力を、子どもたちに。」といったメッセージを発信しました。このメッセージには、残りの活動期間で、東北の未来の復興を支える社会のリーダーを育てること、東北から社会を変える新しい仕組みをつくることを目指す思いが込められています。

東日本大震災で被災した地域の子どもたちを、みんなで一緒に支えていきませんか。

法人・団体からのご支援はこちら

個人の方からのご支援はこちら

2022年 女川向学館の新年スタート!中3生は受験に向けて追い込み中
2022年2月21日

ハタチ基金の助成先団体のひとつ、NPO法人カタリバが運営する、コラボ・スクール女川向学館。学校でもなく家でもない、放課後の居場所づくりを目指して、学生や社会人を中心としたボランティアの方々やスタッフが、小中学生の学びや自立を後押ししてきました。
今回は、新年に入ってからの子どもたちの様子を現場スタッフよりお伝えします。

女川の初日の出。真っ白な雪と、オレンジ色の朝日のコントラストがきれいでした。

こんにちは。女川向学館です。2022年 新年が明けてからすでに2ヶ月が経とうとしていますが、今年もどうぞよろしくお願いします。

新年明けてから1週間は冬休み時間ということで、小学生の授業はお正月にちなんで福笑いづくりや書初め、百人一首などを行いました。私が小さい頃は福笑いはやった記憶があるのですが「福笑いって何〜?」と小学生。ちゃんとした顔になるように真剣に目や口などのパーツを慎重に置いていました。

また、書初めは習字の名人に来ていただき、子どもたちが書きたい漢字のお手本を一人一人書いてくださいました。お手本を見ながら、一筆一筆ゆっくり書く子もいれば、感性豊かにのびのびと筆を進める子も。最後に「たのしかった!」「学校の習字の練習ができてよかった!」という感想を言ってくれました。

さて、全国的に受験シーズンが終盤を迎えている中、女川の高校受験シーズンのピークは3月に迎えます。中学3年生のみんなは、高校受験まで残りわずか。このままの点数では不安だという悩みなどをスタッフに相談するシーンが増えて来ました。

2021年12月の始めまでは、休み時間になるとすぐスマホのゲームをしてしまう子が、ある日、真剣な顔で「ねえ、先生見て」とスマホの画面を見せてくれました。そこには、スマホを使ってしまう自分への戒めの言葉が。「もう受験に向けて、スマホ触らないようにするためにこの画面にしたんだ」と。受験への緊張感が生まれているように感じたとともに、この2ヶ月でその子の受験勉強とついゲームをしてしまう自分への向き合い方が変わったなと成長を感じました。

受験まであと少し。みんなで、がんばっぺし。

法人・団体からのご支援はこちら

個人の方からのご支援はこちら

<<古い記事へ