被災地からのメッセージ

はじめまして。石巻高校3年木村朱里と申します。先週高校を卒業したばかりです。震災当時は中学2年生で、コラボ・スクールと出会って4年になります。

「ただいまと 聞きたい声が 聞こえない」これは震災から2か月後の5月に、国語の授業で私が詠んだ俳句です。私が生まれ育った宮城県女川町は、震災で約8割以上の住居が倒壊し、町の約1割の方が亡くなりました。震災当日、私は中学校にいました。その後、家族の安否がわからない中、3日間避難所で過ごしました。偶然津波を見ていましたが、ずっと現実だと思えず、震災から3日後、母に会えた時、涙が初めてでました。母と歩きながら帰った、変わり果てた町の風景は今でも覚えています。

幸いにも私の家族は無事でした。家族を失った友人や周りの人はどんな思いで、この町を見ているのかいつも不安でした。そんなとき、国語の授業で、震災への想いを俳句で表現する時間がありました。本当のつらさを経験していない私に書けるのか、書いていいのか迷いました。家族を亡くした友人の気持ちに思いをはせ、外で働く母が帰ってくる光景を思い浮かべて、書き上げました。朝の何げない「行ってきます」を聞いたのが最後になるなんて誰が思うことでしょう。提出するべきかとても悩みました。この句を読んで、苦しい思いをする人がいるかもしれない、しかし、この悲しみを伝え、もう二度と繰り返してほしくないと思い、翌日提出しました。

その頃、被害状況がそれぞれ違う中、友達や、先生方へどのように接したらよいのかをとても考えるようになりました。町外から女川町に来て、町の様子を見たり、写真に収める人々の姿に疑問や苛立ちを覚えたりすることさえありました。

そんな中通い始めたのが、コラボ・スクール女川向学館です。中学生の頃、私にとってコラボ・スクールは、放課後に勉強が出来る場所、友達と会える場所、震災という現実を離れて、ほっとできる、そんな場所でした。私は毎日のように向学館へ通い、教えてくださるスタッフの方とたくさんの話をしました。なぜ女川に来たのか、どんな人生を歩んできたのか、お聞きしました。また私の話もたくさん聞いてくださいました。女川にはない職に就いている方、様々な職を経験してきた方とお話する時間は、私にとって新鮮な機会で、自分の将来を考える場ともなりました。

そして、ふと気が付いたときには、町を見に来る方や町の風景を写真に収める方をみても、嫌悪感を覚えることもなくなりました。コラボ・スクールで話したり、俳句や文章にして言葉に表すことによって、心の整理をつける事が出来たのだと思います。

高校に入り、コラボ・スクールは様々な価値観、気づかなかった自分の可能性に気づかせてくれる、たくさんの方との出会いの場に変わりました。高校1年の夏、コラボ・スクールの紹介で、首都圏、そしてコラボ・スクール大槌臨学舎の高校生と、復興について考えるプロジェクトなど多数のプロジェクトに参加しました。首都圏の高校生の学生という枠を超えた活動や、行動力に驚かされ、また大槌の高校生の純粋に地元を大切にする、愛する気持ちに感心させられました。

私の中で、もっと行動したい、もっとたくさんのことを知りたい、そんな気持ちが生まれました。勇気を出して、自分が通っていた保育所にボランティアをしたいと電話をしました。私にとって保育所は、友達、兄弟、親、そして保育所の先生が、家族のように集う、とても温かい場所です。たくさん優しくしてもらった思い出のある、私の基盤をつくってくれた場所の一つです。その場所でボランティアをし、子どもたちと接する喜びを知りました。

また、お世話になったコラボ・スクールでもボランティアをさせていただきました。私はコラボ・スクールに通って、学校以外にも教育の場があることを知りました。学校外からの教育が、どのように行われているのか知りたい、と思い、ボランティアをさせていただきました。

同時に、生まれ育った女川が自分にとって、どんな場所なのか、ずっと考え続けてきました。震災で生まれ育った町の風景は、大きく変わってしまいました。そんな場所で、私は何をふるさとだと思い、今後生きていけばいいのか。たくさんの町の方にお話をききにいき、同級生と商店街でキャンドルイベントを行う中で、一つの答えにたどり着きました。私にとってのふるさとは、震災前からある町の人の明るさ、そして家族のような温かいつながりです。これから生まれる町の風景は、私の知っている女川の風景ではありませんが、それでも私には変わらないふるさとが心の中にあります。

もう二度と会うことができない人もいるけれど、大切な出会いもたくさんあります。あの俳句を詠んでから4年が経過しました。つい先日、私の後輩が、高校受験を迎え、本番前日ギリギリまで自習室で頑張っている姿を見て、3年前をなつかしく思っていました。コラボ・スクールには勉強する机があって、私たち子どもたちを見守ってくれる人がいます。震災後、そのような環境は、当たり前のことではなくなりました。コラボ・スクールは、これからもたくさんの後輩の頑張る気持ちを、支える場所であり続けてほしいと思います。そして、私自身もコラボ・スクールで得た出会いというチャンスを後輩にも伝えられる人になりたいです。

私は、来月から大学に進学し、乳幼児の保育・教育について学びます。具体的に、将来どんな職に就きたいかはまだわかりません。ただ、子どもたちに温かい場所を届けたいという想いがあります。コラボ・スクールに出会って、教育の場が学校だけではないと知りました。乳幼児に関わる保育や教育も、保育所や幼稚園だけではなく、また違う方面からのアプローチがあると思います。これからも、もっともっとたくさんの人と出会って、たくさんの経験をしていきたいです。そしてなんらかの形で、子どもたちに温かい場所を届けたいです。コラボ・スクールは、震災後の私の生活に、震災前は考えられないような、たくさんの場やチャンスを与えてくれました。たくさんの貴重な機会をくださったコラボ・スクール、そのコラボ・スクールを支えて下さった方々にとても感謝しています。ありがとうございます。


木村朱里 / コラボ・スクール