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活動レポート
2025.06.23 長期で子どもの成長に影響を及ぼす原発事故 福島で希望を持って生きて行けるように

原発事故で避難をした人たちが多く暮らす、福島県郡山市。東日本大震災から14年が経つ今も、避難生活を続けている方々がいます。

今年度から助成先団体に加わった「NPO法人こおりやま子ども若者ネットワーク」は、幼い頃から原発事故による様々な制限を強いられて育った子どもや若者たちが直面している課題と向き合い、支える活動を続けています。こおりやま子ども若者ネットワークの小林直輝さんに、現在の子どもたちの状況や大切にしていることを伺いました。

NPO法人こおりやま子ども若者ネットワーク 小林直輝さん(写真左)

茨城県桜川市出身。民間企業に就職後、東日本大震災をきっかけに東北でのボランティア活動を始める。震災や原発事故等の影響で未来に悲観的になっていた子どもたちとの出会いから、2012年に福島県へ移住することを決意。移住後は、避難生活をする子どもたちのためのコミュニティづくりを始め、不登校・ひきこもり当事者の居場所づくりや就労支援等、子ども若者に関わる様々な支援に携わる。2023年より「NPO法人こおりやま子ども若者ネットワーク」に在籍し、活動交流拠点の運営と社会参加・参画を保障するためのユースセンター事業を立ち上げる。

原発事故 今、子どもたちの成長に大きく影響するもの

東日本大震災や原発事故による避難生活で、住み慣れた土地や信頼した家族・友人と離れ離れで暮らすことになった子どもが多く存在します。また、外遊び等様々な行動を制限され、本人だけでなく子どもの周囲の大人にも心理的負担が強い時期が数年間続きました。そのような環境で育ったことで、自己肯定感の低下や、他者と関わること、他者に意見や願望を伝えることに対してネガティブな捉え方をする子どもも少なくありません。特に、貧困や障害等、社会的に排除されるリスクの高い世帯への影響も強く、適切なケアや発達支援を受けることが難しかった子どももいます。実際に「子どもの頃から自分を出してはいけなかったから、相手と意見が異なるときに話し合いの仕方が分からない」といった発言をする10代の子と出会うこともありました。

また、福島県は、原発事故による避難区域に住んでいた方々以外にも、そのリスクの不安から自己責任で県内外に避難した家庭も多く、本当に支援が必要だった子どもがどこにいるのか実態が把握できない状況下にありました。その影響か、震災後の子どもたちの学び直しの機会や居場所となるような活動もほとんど発展しないまま現在に至っています。他県と比較しても、彼らを支える専門的な支援者やボランタリーな人材が不足していると感じています。さらに、他県からのスティグマによって故郷への愛着形成も難しい状況にあり、そういった環境の蓄積が、今もなお子どもたちの成長に影響を与え続けていると感じています。

子どもたちの声や願いを聴きながら “社会を共に創る仲間”として向き合う

子どもたちが何を学びたいのか。何をしたいのか。どうなりたいのか。

その願いを聴くためには、本人へのアプローチだけではなく、声を聴くべき大人たちの存在も大切になってきます。そのため、子どもたちへの学びの機会をつくることだけではなく、彼らを包摂する大人(環境)へも同時にアプローチをしていきます。また、子どもは未来の担い手として捉えるのではなく、“今の社会を共に創るパートナー”として、社会に参加・参画できるプログラムづくりを行っています。

子どもや若者と共同で開催した地域啓発イベント「こわかフェス」地域の大人と子ども・若者が出会う場をつくることで、互いが抱える課題を知り、分かち合い、ともに地域社会をつくる一歩となることを目指している。

子どもたちの住む環境を変えていくためには、地域の中で共通の目的・価値観形成が大切だと感じています。私たちが子どもたちとともに地域の居場所となる拠点を創り、そこから見えてきた課題を発信することで、子どもや若者の課題の認知が進んでいると感じています。

実際に、当該活動地域の郡山市の理念法である「子ども計画」が刷新される際には、私たちもその計画づくりに携わらせていただきました。新しく「郡山市子ども・若者計画」として、義務教育以降の子どもたちへも政策を充実させることや、子ども・若者自身が主語として評価されることなど、地域の軸となる指針をつくることができています。さらに、子ども・若者の地域課題を様々な部署を横断して議論することの大切さが伝わり、2025年度からは、福島県の市町村では初となる「子ども・若者支援地域協議会」の設置にも寄与することができました。

子どもたちの声から実現した 能登半島支援

2025年3月、能登半島地震の被災地を訪ねるツアーを実施しました。東日本大震災を経験した子どもたちから「能登のために何かできないか」といった声が上がり、プロジェクトが誕生。子どもたちと一緒に、能登産の野菜を使った豚汁を販売したり、寄付を募り、その元手をもとに5名の有志で石川県の輪島市に行くことができました。

能登で子どもの遊びづくりを一緒に行う様子。

被災地に行くまでは「何かしてあげたい」といった気持ちが大きかったのですが、実際に行ってみると、現地の方から「来てくれるだけで嬉しい」といった言葉を投げかけられました。その言葉を聞いて、「何かをする・される」の関係だけではなく、共に過ごしつながり合うことで、その人のその後の人生に影響を与えることを知ったメンバーもいます。能登ツアーから戻ってきた後、こおりやま子ども若者ネットワークの運営により深く関わりたいと運営サポーターに手を上げてくれています。

また、最近行ったボードゲーム中に「もしも100万円あったらどうする?」というテーマでトークが始まったとき、「100万あったら、いろんな人を連れて能登に行けるな」と、2回目の訪問を楽しみにしている様子もあります。

多角的な視点で子どもの課題に取り組む ネットワークの大切さ

私たちの特徴は、「ネットワークによる支援」です。例えば、不登校という子どもの課題を一つとっても、その背景には様々な要因が影響しており、一つの団体ではなかなか解決するこが難しい状況にあります。そんな中、34の団体・個人とネットワークを築き、議論を重ねることで、本人支援だけでなく、行政施策にも大きく影響を与えることができています。行政や専門家の縦割りを打破する可能性として注目していただき、他地域から視察に来られる方もいます。

子どもたちの本音を聞くために 長期的な支援が必要

今回、ハタチ基金からの助成で、子どもたちが自分たちの住む福島県で多様なロールモデルや価値観、社会課題と出会い、地域の大人と共に生き方の選択肢を広げる学びの機会を創出したいと考えています。具体的には、子どもと若者が地域社会と出会える拠点となるプラットフォームの運営や、学びの場へアクセスするために特別な支援が必要な子どもへのソーシャルワーク等の実施、そして子ども・若者の声や願いと出会う啓発イベントの実施を考えています。

子どもたちは決してやりたいことや願いをもっていないわけではなく、彼らと一緒に遊び、語り合うことで、その声を私たちに聞かせてくれます。そのためには、一度や二度顔を合わせるのではなく、数年かけて築かれた信頼関係によって吐露されるものだと感じています。実際に、居場所活動の中で出会った子どもが、私たちと活動を共に続けて3年目にして初めて家庭の悩みを相談してくれたこともあります。

学びや機会の提供を行っても、子どもと向き合う大人や周囲の環境次第で、その可能性は大きく閉ざされてしまうと感じています。子どもたちが社会を信頼し、希望をもって自分たちの住む地域で生活をしていくためには、その環境を変化させていく必要があり、そのためには非常に長い時間を要すると思っています。今後もどうぞご支援のほどよろしくお願いいたします。

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