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2017.01.30 1701発行【ハタチ基金メルマガ】 「努力すれば身になるよ」父の残した言葉を胸に

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1.【支援団体レポート】「努力すれば身になるよ」父の残した言葉を胸に(学校外教育バウチャー提供事業)
2. ご支援方法について
3. 2016年12月のご寄付のご報告
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東京電力福島第1原発事故で全町避難が続く福島県双葉町の成人式が3日、
福島県いわき市で行われ、式後の同窓会で新成人に一通の封書が手渡されました。

新成人が中学3年生の時、20歳の自分宛てに書き、成人式の日に自宅に郵送される予定だった手紙。
11年3月11日の卒業式の直後に東日本大震災と原発事故が発生。
74人は全国に散り散りに避難し、町は立ち入り禁止になりました。
当時の学級担任である松本さんが、許可を得て帰還困難区域にある中学校から手紙を持ち出し、
この日、新成人となった生徒達に届けられました。

「覚えていない」「字が汚い」などと言いながら手紙を読み、笑ったり、涙ぐんだりする新成人達。
松本さんは「手紙を渡せてほっとした。当時の気持ちや思い出を胸に、今後も前に進んでほしい」とエールを送りました。

<成人式> 中3で被災 二十歳の私励ます手紙 (2017/01/04 河北新報)
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201601/20160104_63007.html

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1.【支援団体レポート】「努力すれば身になるよ」父の残した言葉を胸に(学校外教育バウチャー提供事業)

ハタチ基金の支援団体の一つである公益社団法人チャンス・フォー・チルドレンは、
東日本大震災で被災した経済的困難を抱える小・中・高生に対して、
塾や習い事などの学校外教育サービスで利用できるクーポンを提供しています(学校外教育バウチャー提供事業)。

今回のメルマガでは、学校外教育バウチャー提供事業にて支援を受ける、ある生徒のエピソードをお伝えします。

仙台市内の高校に通うAさんは父、母、姉、兄と、家族5人で、宮城県名取市で暮らしていた。
夏は海、冬はスキーに行き、ちょっとした休日にも公演や映画館に出かけ、何をするにも家族揃って過ごすのが、家の日常だった。
父は外科医で、石巻市の沿岸部の病院に勤務。
単身赴任をし、週末だけ自宅に戻った。

―震災が発生。生き延び、家に帰らず治療にあたった父

2011年3月11日。Aさんが小学6年の頃、教室でランドセルに教科書を詰めて、帰る支度をしていたとき、大きな揺れが起こった。
電気が消え、避難を促す放送も途切れた。
グラウンドに避難していると、2つ上の兄が迎えに来てくれた。
当時、石巻市の病院で多くの患者の治療にあたっていた父からは「津波で車が流されたけれど、大丈夫」とメールが来た。
それから父はしばらく自宅には帰ってこなかった。

震災から一ヶ月後、Aさんはようやく自宅に戻ってくる父を最寄り駅まで迎えに行った。
父はやせて、ひげは伸び切っていた。見たこともない父の無精ひげを見て幼心に「うわ、ひげだ」と叫んだ。
それから一年経っても、父の忙しさは変わらず、自宅に戻ってくるのは、数週間に一度だけだった。

―震災から1年。突然の父の死

学校で授業を受けていると、慌てて先生が呼びに来た。母から電話がかかってきていた。
「お父さんが倒れた」。急いで姉と兄と、車で石巻市の病院に向かった。

父は過労死だった。家族には辛い顔を一度たりとも見せてはいなかったが、
震災後の父の働きぶりは壮絶なものだったことを報道や周囲の人々の話で知った。
父は、地震の発生時、がん患者の胃の切除手術をしていた。病院の一階まで津波が襲い、
病院の携帯電源までが切れた。それでも、ほかの患者と病院職員を避難させながらも、
父は懐中電灯の明かりの中で患者の手術を続けたという。
その後も、通信手段がなく、病院に患者や病院職員が取り残されるなか、
津波が水没した街を胸まで海水につかりながら、約2キロ先の市役所まで助けを求めに行き、
寝る間を惜しんで治療にもあたった。あまりの激務に、1ヶ月後には、10キロ以上やせていた。

「お父さんは、震災の過酷な状況のなかで生き延びたのに、なんで・・・」震災から約1年後、
父の突然死。父は災害関連死として認定された。母は病院の事務職員として働き始めた。
奨学金や保険などの書類で、「母子家庭」という言葉を見るたび、辛くなった。

―高い目標を持って受験 CFCの支援で猛勉強

受験を控える中学3年になった。志望校は、小学校の頃から憧れていた県内有数の進学校で、
文化祭などの行事も盛んな学校。そして、父の出身校でもあった。受験のために塾で気兼ねなく
勉強ができるようにと、母のすすめでCFCのクーポン利用に応募し、支援を受けることになった。
「これで一生懸命頑張れる。よかった」。毎月、塾の先生に「お願いします」と言って、
クーポンを手渡し、勉強に励んだ。

高校の受験は、前期と後期の2度挑戦できるが、前期試験に落ちてしまった。
それでも「お父さんにも応援されていた。どうしても行きたい学校だから」と、志望校を変えず、
後期までの約2週間、最後の最後まで猛勉強した。

合格発表の日。高校の校舎の壁に受験番号が張り出された。大勢の人がいて、番号が見えない。
ジャンプしても見えず、横の方からのぞき込むようにして探した。
「あった!」。誰かに伝えたくて仕方なかった。
ラグビー部の在校生に、合否を聞かれ、「合格しました」と答えると、胴上げをされた。
「おめでとう!」

―「努力すれば身になるよ」父の残した言葉を胸に医学の道へ

父の葬儀は式場に入りきれないほど、大勢の参列者が訪れた。父の働きぶりは、絵本にもなった。
時折、絵や文章の背景に表れている医師としての父の志に思いをはせる。
「いつも患者さんに慕われている偉大な父がいました」。
そんな父を偲んで自宅を訪れる父の同級生らに「お父さんに似ているね」と言われると、少し照れくさい。

今年は高校3年。大学受験が近づき、CFCの支援を受けながら、部活の傍ら塾に通っている。
「母の収入だけでは苦しいなか、心配なく学校にも塾にも行けるのは、
支援してくださっている方々のおかげです。感謝しかありません」と話す。
父は柔道を続けながら、医学部へと進んだ。自分と重ね合わせる。
姉と兄も医療関係の仕事を目指している。そして、私も-。

忘れられない言葉がある。いつしか父が「努力すれば身になるよ」と言ってくれた。
シンプルだけど、勇気を与えてくれる言葉。父が一緒に人生を走ってくれている気がする。

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2. ご支援方法について

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3. 2016年12月のご寄付のご報告

●寄付金額合計:10,798,852円
 ○呼びかけ人(継続):2,861,000円 1,197件
 (新規7名、退会5名)
 ○個人(都度):2,699,000円 50件
 ○法人・団体(都度):5,238,852円 27件
  ※都度寄付に関しては申込ベースの数値

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