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活動レポート
2022.03.11 東日本大震災から11年 被災した私が支える側になって感じた、子どもに関わる中で大切なこと【ハタチ基金卒業生のこれから】

今日で、東日本大震災の発生から11年を迎えました。
被災経験をした方、友人や家族が被災した方など、あの日の経験は様々です。今日は、日本中の人たちに、東北への思いを巡らせていただけたらと願っています。

私たちハタチ基金の活動も間もなく11年を迎えます。復興のフェーズも年々変わり、2020年には、震災当時子どもだった若者たちがリーダーとなり新しい未来を地域に作っていくことを後押しできるよう、ハタチ基金の支援の形も変えていくことにしました。

今回は、大人になったハタチ基金の卒業生に、社会に出てどんなことをやってみたいのか、今の思いを伺いご紹介します。
小学6年生のときに岩手県大槌町で被災し、その後、助成先団体のNPO法人カタリバが運営するコラボ・スクール大槌臨学舎に通った卒業生に、代表理事の今村がお話を伺いました。

藤沢慶子さん】

岩手県大槌町出身。震災当時は小学6年生で、中学高校とコラボ・スクール大槌臨学舎で放課後を過ごす。その後、宮城県の大学の教育学部に入学。大学3年生のときに休学し、宮城県女川町にあるコラボ・スクールでインターン生として働く。2022年4月より、認定NPO法人カタリバの職員として社会人生活をスタートする。

今村:こんにちは!元気だった?

慶子さん:はい、おかげさまで。この春から社会人になります。

今村:初めて出会ったのは、慶子が中学生の頃だったよね?それが社会人になるなんて。

慶子さん:いやあもう、カタリバの方々にはお世話になりっぱなしです。しかも、春からはカタリバの職員として働くという(笑)

今村:そうなんだよね。ほんとにありがたいです。慶子を始めとするコラボ・スクールで出会った子たちとは、いつか一緒に働きたいと思っていたので、とても嬉しいです。

震災で失われた子どもたちの居場所

今村:私たちが初めて出会ったのは2012年だったかな。震災後で、まだ大槌町には何もなかった頃だったね。

慶子さん:そうですね。校舎もなかったので、お寺の隣にある公民館で過ごしていましたね。

津波が引いた後の大槌町の様子

今村:慶子にとって、震災はどんな経験だったのかな。

慶子さん:小学校6年のときに震災を経験したので、私にとっては、傷というよりも人生の中のひとつの出来事になっています。当時、自宅が津波で流されてしまったのですが、友だちのお父さんやお母さんがいなくなってしまったとか、一緒に小学校に通っていた子が内陸のほうに引っ越してしまったとか、間接的にも色々な経験をした感じがします。
すごくつらかったという記憶はあまりなくて、ちょうど思春期の成長段階で、すごく周りを見るきっかけになりました。周りの人にとても気を遣うようになりましたし、社会に目を向けるきっかけになったと思います。

今村:そうなんだね。当時、周りにいた大人たちは、慶子から見てどんな風に映っていたのかな?

慶子さん:大人はみんな、すごく忙しそうにしていました。震災前は、地域に子どもがいるだけで近所の大人たちが話しかけてくれたり、放課後には「おかえり」って地域の人たちが声をかけてくれることもあったのですが、震災以降は地域の人たちが顔を合わせることもほとんどなかったですね。

今村:確かに道も歩けなかったから、みんな仮設住宅か避難所か、それぞれのおうちにいたよね。なかなか外を出歩くっていうことがしばらくなかったね。

慶子さん:そうですね。知っている人に会うことが、ほとんどなかったですし、会ったとしても、避難所で何か仕事をしているとかいつも忙しそうにしていて、子どもはちょっと置き去りにされている感覚がありました。

コラボ・スクールで起きた転機 そばで支えてくれたスタッフ

今村:そんな中、カタリバが運営するコラボ・スクールに来てくれたね。コラボ・スクールでの経験は、当時はどんな風に受け止めてましたか?

慶子さん:私は中学高校時代に通っていたのですが、中学時代は「勉強する場所」と思っていました。みんなで中学校から放課後バスに乗って、さあ勉強するぞっていう気持ちでコラボに向かっていました。当時は祖父母の家で暮らしていて、勉強に集中できる自分の部屋のような場所がなかったので、コラボでしか勉強していませんでした。

今村:気持ちも落ち着かなかったと思うけど、ちゃんと勉強できていたんだったらよかった。

慶子さん:みんなで楽しく勉強できるように環境を整えてもらっていましたね。やらされている感じはなかったです。

高校のときは、また違った意味での居場所になりました。

今村:どんな居場所になったのかな?

慶子さん:何か新しいことに挑戦してみようとか、将来のことを考えるきっかけを与えてくれる場所でした。例えば、ただ勉強するのではなく、英会話で現地の方と話してみる機会があったり。コラボで地域の外の人と出会ったりする中で、少しずつ広い社会に目を向けることができるようになって、少しずつ自分が勉強できるようになってきたっていう自信もつけられるようになりました。

高校生の頃。英語で町を案内するツアーを行いました。

今村:そうなんだね。高校時代に特に印象に残った人やエピソードはありますか?

慶子さん:いっぱいあるんですけれど(笑)高校2年生の冬休みの出会いは今でも心に残っています。当時、参加したイベントに、すごく活動的な高校生がいたんです。自分のしたいことがはっきりしていて、それに没頭している子でした。

その子と接しているうちに、これまでの自分は、自分のやりたいこともわからないし、そもそも自分と向き合えていなかったことに気づいたんです。他の人が自分の人生を生きてることを目の当たりにしました。何かしたいけれどどうしたらいいかわからない、そもそも自分のやりたいことって何だったんだろう?とすごく悩んでいました。そんな私に、たまたま通りかかったコラボのスタッフの方が気づいてくれて、何かあったの?って声をかけてくれたんです。

今村:よほどの表情だったのかな。

慶子さん:私はいつも通り挨拶をしただけだったんですけれど、異変に気づいてくれて。そこから、どうしたらいいかわからないと相談をし始めたんです。どうしようって混乱していた私に、ちょっと行動してみようよって話をしてくれたのがすごく印象に残っています。いつもスタッフの方が見守ってくれてるんだなと感じました。

今村:あの頃、私たちは、どういう機会をつくったら、最終的にみんな自立した大人になっていけるんだろうって考えていましたね。今この瞬間の勉強も大事なんだけど、人生の中で残っていく経験とか、自分を変えていくきっかけを、どうやってつくっていけばいいのか、私たちも悩んでいた。模索しながら開いたイベントだったわけなんだけど、そこで、慶子の気持ちを大きく変えるきっかけ、今まで大槌にはいなかったような高校生との出会いがあったっていうことなのかな。

慶子さん:そうですね。

今村:それはすごくよかった。ハタチ基金への寄付でそういったイベントやコラボ・スクールの運営もできているので、ほんとありがたいことですよね。

慶子さん:やってみたいって言ったら、すぐにコラボが応援してくれたので、今思うと、自分にとって貴重な居場所だったんだろうなって思います。

支えてもらった私が、子どもたちを支える側になって感じたこと

慶子さん:高校卒業後は、教師になろうと思って宮城県の大学の教育学部へ進学したのですが、大学生活3年目のときに1年間休学してカタリバで働きました。

今村:そうそう。慶子は、子どもたちを支援する側になってカタリバの活動に参加してみたいということで、女川町のカタリバでインターンシップで働いてくれたよね。どんな経験だったのかな?

慶子さん:1年間の期限付きだったんですが、職員と全く同じ仕事をさせていただきました。中学生の前に立って勉強を教えるとか、一緒にイベントをつくったりもしました。

実際に大学で教育の勉強もしていましたが、全然現場のことを知らないっていう課題感がずっと自分の中にあって。子どもたちはどういうことに悩んでいて、自分はどういうサポートができるのかを考えているうちに、現場で挑戦してみたいという気持ちになって働かせてもらうことになりました。

インターンでカタリバで子どもたちの前で話す慶子さん

今村:実際に現場で子どもと接してみてどうだった?

慶子さん:子どもって毎日様子が変わっていって、現場を作ることって、ただ勉強しただけではできることじゃないって思い知りましたね。毎日毎日の積み重ねがあるからこそできることっていうのを、色んな機会から感じていました。

今村:女川では、同じように震災を経験した子どもたちを支援する側になる機会もあったかと思うんだけど、震災を経験した者だからこそできた配慮とか、逆にそれゆえに動けなかったこととかありますか?経験者だからこその悩みも色々あったんじゃないかなと思うんだけど…。

慶子さん:境遇が近いから共感できたかなと思ったことは、簡単にがんばろうと言えなかったことですね。自分がポジティブな気持ちになってほしいと思って、ポジティブな声をかけているけれど、なんだか見透かされているような感じがしました。

慶子さん:震災当時、大人がみんな忙しくて子どもに向き合っている状況じゃなかったことを経験してきた子どもたちは、すごく大人や人を見る力がありますね。そういった子どもとの関わり方は、教える立場、教育者の立場で関わってちゃだめなんだなと思いました。人間と人間、1対1の関わりじゃないと伝わらないことを身に染みて感じました。

今村:たしかに、震災を経験して、当たり前だったものがなくなった経験とか、大人たちが慌ただしくて子どもたちどころじゃないっていうことを、大事な幼少期に経験した子たちの大人の見方ってすごくまっすぐですよね。そういった子たちに対して、自分も被災経験があるだけに、逆にどう関わったらいいのか悩んだことはあったのかもしれない。

春から社会人に 絶対に必要なものを社会に広めたい

今村:春から社会人だけど、学校の先生にはならずにカタリバに入ってくれますね。慶子の中でどんな考えがあったのかな?

慶子さん:学校の先生になる選択肢は確かにありましたね。でも、就職活動をしている中で、中高生のときに関わっていたコラボ・スクールの大人たちが持つ価値観を思い出したりしていたんです。自分の将来と向き合う中、絶対に必要だと自分が信じるものを社会の中で広めていきたいっていう思いがどんどん大きくなっていったんです。NPOで社会課題と向き合っている人たちと一緒に働いてみたい、社会に必要なものを広めていける環境がここにはあると思ったので、申し込みました。

今村:慶子がそんな決意を持って、カタリバで働いてくれることになって本当に嬉しいです。今日はありがとうございました。

(2021年12月開催 ハタチ基金チャリティコンサート内でのインタビューより)

残りの活動期間でハタチ基金が目指すもの

ハタチ基金は活動期間を20年と決めて、東日本大震災発生直後に活動をスタートしました。震災から11年を経て、活動期間ももうすぐ11年。ハタチ基金としては、折り返し地点を迎えています。残りの期間、どんな活動方針にすれば復興のフェーズに合わせた支援ができるのか、私たちも考えてきました。

これまでのハタチ基金では、活動を始めて10年以上経っている、キャリアが長い団体を助成先団体として選ばせていただき活動の後押しをしてきました。一方、震災を機に、たくさんの方々が自分たちで地域のために新しい取り組みを始めたり、団体を立ち上げて活動をするようになりました。そのため、これからは、長く地域に根ざして取り組む団体を助成先団体として選び、ハタチ基金への寄付を使っていただくことにしました。

震災復興というフェーズから、地域そのものの力を高めて伸ばしていくフェーズへ。ハタチ基金の活動期間が終わった後にも、地域の人たちや団体が子どもたちを支えていけるその日まで。

東日本大震災で子どもたちが経験したことを、強さや明るさに変えていけるような支援の形を目指していけるよう活動してまいります。

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