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みんなのおもい
2024.02.24 津波で何もなくなった町に僕らが居続ける理由 ~東日本大震災から13年「新しい教育」への挑戦~

「僕たちがここに居続けることが重要なんです。」縁もゆかりもない宮城県女川町に暮らして12年。中高生の放課後の居場所を運営する「一般社団法人まちとこ」の代表は、町の復興に必要なことを尋ねるとはっきりと言葉にしました。彼と一緒に働きたいと同じ道に進んだ石巻市出身のスタッフは、東日本大震災発生時は中学生。今の被災地の子どもたちに必要なことを語ってくれました。

東日本大震災から間もなく13年。かつて津波が襲った女川町で、子どもたちの課題と向き合いながら、被災した場所だからこそできる“新しい教育”についてお話を伺いました。

※インタビューは2023年秋に行われたものです。

芳岡孝将さん

一般社団法人まちとこ 代表理事 芳岡孝将さん(上部写真)

教員養成大学を卒業後、青年海外協力隊員の理数科教師としてモザンビーク共和国で2年間活動。東日本大震災がきっかけで、2012年1月帰国。同年より、NPO法人カタリバの活動に参画し、岩手県大槌町と宮城県女川町の“放課後の居場所”の立ち上げや運営に携わる。2022年、NPO法人まちとこ設立。女川町の放課後学校「女川向学館」をまちとこに移管し継続して子どもたちの支援を行う。女川町に移住して12年、1児の父。

一般社団法人まちとこ 髙橋倫平さん(下部写真)

宮城県石巻市出身。東日本大震災時は中学1年生。教員を目指して東京の大学に進学。学校の枠を超えた、本当に子どもたちに必要な教育に携わりたいと、休学し女川向学館でインターンとして子どもたちのサポートを行った。2022年、一般社団法人まちとこ設立を機に、自身もまちとこのスタッフとなり、“年の近い身近な存在”として子どもたちの勉強や進路の相談に乗っている。

一般社団法人まちとこ・女川向学館

2022年設立。同年、宮城県女川町に震災直後につくられた放課後学校「女川向学館」をNPO法人カタリバより事業移管。町の人たちと共に子どもたちを支えていく、地域に根差した運営方針に切り替えて活動を続けている。中高生が放課後に勉強をしたり、進路や日々の悩み事も相談できる、“子どもたちの居場所”として存在する。

髙橋倫平さん

生まれ育った町が被災 地域や家族、生き方が変化した

ーー髙橋さんは東日本大震災が起きた当時、石巻市の中学生だったそうですね。

髙橋さん:そうですね。僕が住んでいた蛇田(へびた)地域は、被害の範囲が広かった石巻市の中で、奇跡的に津波が来なかった地域で。自宅はぎりぎり水が来なかった場所にありました。家も家族も無事でしたが、震災直後は、少し高台になったところに車を停めて過ごしました。

ーー大きな被害がなかったとはいえ、その後の生活や生き方などは変わりましたよね。

髙橋さん:いろんな角度で刺激をもらって、自分の見えていた世界が変わっていきました。一番大きかったのは、被災地出身ということで、自分の住んでいる地域とはどんなところなのかをすごく意識させられたところでした。今まで、住んでいる地域についてじっくり考えたこともなかったので。

髙橋さん:最初に意識したのは、高校生のときに、被災者向けの海外留学プログラム

「TOMODACHI セントルイス・石巻 草の根 交流プログラム」に参加したときのことでした。参加するまでは、自分は被災していないし、自分よりも大変な思いをしている人がたくさんいると思って、自分が震災について話すこと自体に違和感を感じていました。でもこのプログラムで、僕自身の目線で震災について話す機会があって。自分の住んでいる地域、石巻、東北について、見つめ直す時間がたくさんあったんです。

このコミュニティにいたことで、東北の未来と真剣に向き合うようになりました。

髙橋さんが参加した、東北被災地の子どもたちの人材育成を目的とした「TOMODACHI セントルイス・石巻 草の根 交流プログラム」
「TOMODACHI セントルイス・石巻 草の根 交流プログラム」で新しくできた友人と。

ーーこの体験が、その後の人生を変えていったんですね。一度地元を離れて東京の大学に進学したそうですが。

髙橋さん:教員になりたくて大学に進学しました。地域の外に出たことで、違う視点で被災した地元と向き合う機会ができて。東京や他の地域の人から見たら、石巻出身っていうだけで「被災者」というくくりになるんですよね。いろんな人に、石巻では何人が亡くなったの?とか、どれぐらいの被害があったの?と聞かれて、自分がちゃんと答えられないことに気が付いて。何となくたくさんの被害があったことはわかるけど、意外と知らなかった。みんなの中で、「石巻=震災」というイメージがほとんどで、かといって、僕自身も震災以外の石巻について語れるわけでもなく。自分は何も出身地のことを知らないんだなと思い知らされました。

津波の被害が大きかった石巻市。現在の様子(2024年2月撮影)
津波の被害が大きかった石巻市。現在の様子(2024年2月撮影)

髙橋さん:被災状況などはいい加減なことを言えないので、そこで初めて地元について調べていったんです。

ーーなるほど。

髙橋さん:地元が被災して悲しいこともありましたが、ポジティブな一面も正直あったなと思っていて。震災をきっかけに新しい出会いがたくさんあったことで、僕の人生や考え方が一気に変わったように思います。蛇田地区は被害が少なかったことで他の被災地から転校生がたくさん来ましたし、当時、地域外から支援団体やボランティアの方々が石巻にも入ってきて、今まで自分の中になかった価値観を教えてくれました。

現場に飛び込んで目の前で起きていることを“自分事化する”

芳岡さん:こうして被災地で子ども時代を過ごした人が、今被災地の子どもたちを支える活動をしているというのはとても嬉しいです。

ーー芳岡さんは、もともと東北にはゆかりがなかったんですよね。

芳岡さん:はい。女川に移住して12年になります。震災が起きた時は、モザンビークにいました。

ーーモザンビーク!またどうしてだったんですか?

芳岡さん:もともと教員になりたくて、大学でも教員免許を取ったのですが、教育に携わる上で、アフリカの最貧国の教育ってどんな教育をしているのかが気になったんですよね。

モザンビークの学校で教壇に立つ芳岡さん。
モザンビークで芳岡さんは、中等教育校の物理教員として講義・実験授業を担当。

芳岡さん:疑問に思ったことや、興味を持ったことを自分事化するためには、実際に現場に飛び込むことが一番かなと思って行きました。

ーーそうだったんですね。震災が起きたとき、モザンビークにいた芳岡さんはどんな思いだったんですか。

芳岡さん:自分の母国が大変なことになっているときに、アフリカにいていいのかなっていう思いに駆られて。日本の人たちがこれだけ亡くなって、住む場所もなくなって、大変な思いをして、自分は何ができるのかを考えたんです。今自分は自由に動くことができる状態じゃないかと。帰国すれば被災地にすぐに行けるような状況ではあったので、とにかく行って何かをしないと自分を信じられなくなるだろうなと思って、帰国することにしました。

ーー自分事化するためにも。

芳岡さん:アフリカへ行くときは自分で選択しましたが、そのときは、自分で選ぶというよりも、何か突き動かされるような思いで動きました。東北で起きたこの震災は、日本にいる人たちはみんな、強制的に当事者にならなきゃいけないような大きな出来事だったと思います。何か自分がやらなきゃいけないような気持ちになった方もたくさんいたんじゃないですかね。被災地に入って、この地で自分が何かやらなきゃいけないんだっていう、半ば使命感のようなものを感じて、今もその思いが続いています。

学校・家庭・第3の居場所 チームで取り組む“子どもたちのための教育”

ーー震災直後は子どもたちへの支援の形はどのようなものだったんですか。

芳岡さん: 当時は、子どもたちが自由に過ごしてもいい場所ってなかったです。生活を立て直すために大人たちが一生懸命やっているところで邪魔にならないように子どもたちは気を遣いながら生活をしていて。子どもたちが安心安全に過ごせる場所は限られていました。

最初にNPO法人カタリバが被災地に入った地域は、学校が避難所になっていました。学校が終わった後に、避難所となっている学校に帰るみたいな生活が続いていて。そこで、先生たちがずっと子どもたちを見ていました。宿直の先生が、夜も子どもたちの勉強を見てあげたり、話し相手になったりしていて。自分も家族も被災している状況なのに、他の子どもの面倒を見なきゃいけない。そんな毎日でみんなが疲弊している状況だったので、子どもたちもそれを肌で感じていたと思うんです。これは子どもたちが本当に安心して過ごせる場所をちゃんと作っていかなきゃいけないと、子どもたちの居場所づくりを始めたんです。

プレハブで始まった被災地の放課後学校「コラボ・スクール」

ーーまちとこの活動の原点ですね。

芳岡さん:誰もやっていなかったことをカタリバが始めて、僕もそこに参加して。僕は岩手県大槌町の放課後学校「コラボ・スクール」と「女川向学館」の立ち上げに携わりましたが、今は課題が少しずつ変わってきてはいますが、女川町で安心して過ごせる場所が必要だと思って続けています。

町のメインストリートに位置する女川向学館。2022年にまちとこに移管されるとともに、施設も新しくなった。町の中心部にあるため子どもたちも通いやすい。
旧施設から持って来た女川向学館の看板。

ーー学校でも塾でも習い事でもない。女川向学館はどのような役割を担っていますか。

髙橋さん:なんでも相談できる身近な存在になれたらいいなと思っています。放課後、ここで勉強をしたり、友達とだべったり、僕たちに進路の相談をしたり。学校との大きな違いは「ナナメの関係」でいられるところかなと。立ち上げ当初から大切にしてきたことです。

ーーナナメの関係ですか?

髙橋さん:大学生のインターンスタッフだったり、僕みたいな20代のスタッフは、先生よりも生徒と距離が近く、どこか友だちのような。身近なお兄さんお姉さんとして「ナナメの関係」をつくれるんです。小学生から高校生まで、みんな“リンペー”って僕のことを読んでくれるんですよ。

ーー距離が近いですね(笑)

髙橋さん:のぶさん(芳岡さん)なんか、帰省した大学生が遊びにきたりすると、今も「のぶ」って呼ばれていますからね。僕もいつまでも「リンペー」と呼んでもらえる距離感で子どもたちと付き合っていきたい。距離が近いと、不安や悩みも気軽に相談できるようになるんですよね。勉強を始める前のなんでもない雑談の時間が毎回あるのですが、そこでのコミュニケーションもすごく大事にしています。

授業風景
一人一人の子どもたちと向き合うことを大切にしている。

ーー今の子どもたちに必要な教育ってどんなものだと思いますか?

髙橋さん:僕が教育を語るなんておこがましいですが、自分の経験から言うと、一方的に教えるっていうのは教育ではないなと思っていて。子どもたちがいろんな人から学べるように、選択肢がたくさんある方が良い教育に繋がると思うんです。もちろん、親や学校の先生たちから学ぶこともありますし、僕は他の地域から来た人や、祖父母からも教育を受けました。

ーー女川向学館に通う子どもたちにとって、髙橋さんもその一人になりますね。

髙橋さん:そうなれたら嬉しいですね、どうしても小学生の時は先生が言っていることは全て正しいと受け取ってしまうと思います。一方で、先生が言ったことが全てじゃないんだよって教えてあげられる大人が存在すると、その子の中で自分の考えにどの意見を取り入れようか、選択肢が生まれますよね。その状態が健全かなと思っています。

芳岡さん:いろんな人から学ぶって本当に大事だと思います。僕の考える教育って、チームでやるものだと思っていて。三人寄れば文殊の知恵じゃないですけれど、子どもたちが自分で選択して将来を踏み出せるようにしていく準備を、みんなが協力し合って教育というものを使って支えていくってことが大事だと思っていて。

女川向学館のスタッフ。町の塾を運営する人や首都圏から来た大学生インターンなど多様なメンバーで子どもたちを見守る。

髙橋さん:学校が担う役割もあると思いますが、学校だけではなく社会と繋がりながら、地域の大人の考えに触れていくことも大事かなと。先日妻とうちの赤ちゃんが女川向学館に寄ったときに、生徒たちが赤ちゃんをあやしてくれて。それも一つの学びになるかもしれない。
社会で起きるいろんな出来事をちゃんと学びに変えていったり、その子の糧にしていくことが教育だと思っています。

ーーどんなチームでやっているんですか?

芳岡さん:女川向学館に来ている生徒の様子や状況は、学校の先生や保護者と共有しています。それに加えて、町の学習塾の先生とも情報交換をしたりしていて。

女川向学館設立当初から一緒に子どもたちを支えてきた山内哲哉さん。自身も町の塾を経営している。

髙橋さん:学期末のテストの後に、僕たちも生徒と面談をしているのですが、誰にも言えなかった志望校とかも話し出したりするんですよね。本当はこの学校に行きたいけれど、今の点数でそんなことを言ったら笑われるから言えない、みたいな。生徒から聞き出した話を学校とも共有して、その子にとって一番良い方向へ導いてあげるためにはどんなサポートが必要なのかを話し合ったりしています。

芳岡さん:学校と外の団体がこれだけ密に関わっている事例は珍しいのか、視察に来られる方もいらっしゃって。
先日企業研修で来られた方が、私が学校へアポなしでもすぐに入れてもらえるところを見て驚かれていました。どういう連携をしたら、アポなしで入れるような関係性になれるんですかって。

ーーそれは珍しいでしょうね。

芳岡さん:異動して初めて女川に来られた先生も、最初はこの関係性に戸惑います。まだまだ前例が少ないので。今年度は、新任で入られた先生たちに女川向学館に来てもらって、僕たちがどんな思いで活動しているのかを伝えさせてもらっています。あと、年に3、4回ほど、先生方と「女川の教育を考える会」という名のもと一緒にお酒を飲みながらコミュニケーションをとるんですが、一度一緒に飲むとぐっと距離が近くなってすごく密な関係になるんですよ。それが日常のやりとりにも活かされている感じで。

髙橋さん:のぶさんは町のお祭りの後とかも引っ張りだこです。町の教育関係者の人たちなどが、「のぶくんいる?」って飲みの誘いで女川向学館に来たりも(笑)

ーーもともとはゆかりのなかった地域でしたが、今は繋がりが深いですね。

芳岡さん:そうですね。町が津波で無くなって、一からともに町を築いてきて10年以上が経ちました。目の前で起きている課題に対して必死でやっているうちに、いつの間にかこの町の一員になれたのかもしれません。

地域に根差して活動をする 100年後も続く団体を目指して

ーー2022年にNPO法人まちとこを設立。女川向学館はカタリバから独立して、運営母体がまちとこに変わりました。何か変化はありましたか?

芳岡さん:大きな変化はありませんが、今後は町の施設として、一過性のものではない持続可能な形をつくっていく必要があります。元々はカタリバとしても、震災から3年ほどで女川向学館を地域に移管して、子どもたちを地域の人たちが継続的に見守れるようにしていくことをビジョンにしていました。でも現実は難しくて…。3年経っても復興なんて言える状況になりませんでした。
震災から10年ほどが経った頃、そろそろ地域で運営していっても大丈夫かなとなったときに、誰が向学館を引き継ぐのかという問題が出てきて。子どもが毎日通う場所になっていたので、無くすわけにもいかなかったんです。

ーーそれで、芳岡さんが残って独立したわけですね。

芳岡さん:腹を決めてこの町でやっていくんだっていう決意表明を、町の人たちに見せる思いも込めて手を挙げました。

学習面の苦手な分野なども女川向学館でサポートしている。勉強を教える芳岡さん。
事業移管後、町の中心部に施設も移って子どもたちが通いやすくなった。平日・土曜は毎日、子どもたちのために開放している。

芳岡さん:女川町は、被災地の中でいち早く町づくりに着手して実現した町なんです。そのスピード感を、次は教育分野にも活かせればと思っていて。町長や町の人たちに「教育でやっていくことを決めました。僕は本気です」という姿勢を見せるためにも自分がやっていこうと。

ーー強い姿勢ですね! 独立してもうすぐ2年になりますがいかがですか?

芳岡さん:独立前からここで働いていた町の人たちが残って、子どもたちや町の未来について真剣に考えながら活動をしてくれているのでとても心強いです。卒業生も帰省したときにふらっと寄って、子どもたちに勉強を教えてくれたりもするんですよ。頼んでもないのに自然と(笑) そんな人の循環も生まれています。

ーーそれはいいですね。都市部も含めて全国でこうしたまちとこのような場所が必要とされると思うのですが、他の地域で行うのは難しいのでしょうか。

芳岡さん:できると思いますよ。被災して何もなくなった地域でできているんですもん。都市部でできないことはないですよ。諦めているだけです。

女川町のメインストリート。海が見えるように、町は防潮堤の上に作られた。レンガ道は背後の駅へと続いている。元旦にはこの場所から初日の出を望むことができる。

芳岡さん:何もなくなった場所だからこそ、何でも挑戦できるというところはあるのかもしれませんし、女川は原発がある地域なので、財政的には豊かな地域でもあります。一方で、原発を受け入れてリスクを負っている一面もあるので、子どもたちの未来にはもっと投資するべきです。教育に投資をしてもらって、この町発の新しいチャレンジをどんどんやっていって、社会に発信していくのが願いです。

ここでできたノウハウはいくらでもお渡しするし、ぜひ真似をして他の地域でもチャレンジしてみてほしいです。

小学生が放課後に過ごす学童「放課後楽校」まちとこが町から委託されて運営している。民間が運営することで管轄の垣根を越えて、共働きでもそうでない家庭の子どもでも放課後はここで過ごすことができる。

人口減少が影響する 子どもの教育と将来歩む道

ーーまちとこでは、2023年夏に、都市部の子どもたちと女川の子どもたちが一緒に遊ぶ「サマープログラム・夏の友だち」を試験的に開催したそうですが、どんなプログラムなんでしょうか?

芳岡さん:都市部で暮らす子どもたちが、夏休みに女川に来て、自然の中で思い切り遊んでもらおうという企画です。町に親しんでほしいという思いもあるのですが、もう一つの目的として、女川の子どもたちに町外の同世代と触れ合う機会をつくって、世界を広げてもらいたいという願いも込められています。ずっとやってみたいと思っていたのですが、今回ハタチ基金の助成金を使わせていただいたおかげで実現できました。

ーー子どもたちの視野を広げる目的ですね。

芳岡さん:そうなんです。この町で生まれた子は、保育所から中学校まで約15年間ずっと同じメンバーで過ごしていきます。学校も一つしかないですし、子どもの数も少ないのでクラス替えもありません。高校になって、石巻の地域と合わせて7校に分かれて進学します。そこで初めて、新しい人間関係を築くことに直面するのですが、慣れていないのでうまくいかなくて不登校になってしまう子も結構いるんですよね。

ーーなるほど。子どもの数が少ないことでそんなことが起きるんですね。

髙橋さん:僕は石巻で幼少期を過ごしましたが、幼稚園、小学校、中学校と上がる度に新しい出会いがあって、新しい友達ができるタイミングが定期的に訪れていましたが、女川町は違うんですよね。

芳岡さん:そう、石巻の子たちは耐性がついている。女川の子たちは、家族と同じようなコミュニケーションで友人同士でも通じる中で大人になっていくので。外の世界の人たちと接する機会も少ないですし、初めての出会いで自分がどうしていいのかわからなくなってしまうんだと思います。

ーーそれでこのような企画を実施したんですね。

芳岡さん:今はインターネットの世界で友達をつくることもできる時代ですが、肌感覚で付き合える友達が新たにできるのも大切かなと。毎年夏に会うような関係から始まって、成長するにつれて個人同士で連絡を取りあうようになったり。

「サマープログラム・夏の友だち」自然の中での遊びを楽しむ子どもたち。

芳岡さん:例えば、大学進学を考えたときに、東京の大学について相談できる相手になったりするのかもしれない。逆に首都圏の子どもは、一緒にキャンプをやりたいと女川に気軽に来られるようになったり。オンライン上だけではなく、血の通ったコミュニケーションを取れる仲間を、地域外でもつくる経験をしておくと、学校で嫌なことがあっても、それは世界の一部であって全てじゃないって思えるはずです。「俺、東京に仲間いるし」ってね。目の前で起きていることは大したことではないと、視野を広げてほしいです。

ーー人間関係を広げることは、大人にとっても重要ですよね。

芳岡さん:そうなんです。なのでこのプログラムは、保護者も同伴で来てもらいます。ワーケーションという形で仕事をしていても構わない形で。

ーーそれは参加への敷居が下がりそうです。

芳岡さん:ただ、保護者もできれば交流してほしいとは思っています。女川に知人ができることで、次回はふらっと町に寄って誘いやすいはずです。首都圏にはないような自然や美味しい食べ物もたくさんあるので、気軽に何度でも来られるような繋がりをつくってほしいですね。

川の流れをせきとめたり、女川町と首都圏の子どもが一緒になって夏を楽しむ。

ーー女川だけではなく、被災した地域全域で人口減少が加速していると聞きますが。

髙橋さん:震災前から、都市部との教育格差は課題だったと思いますが、震災から13年経った今顕著になってきています。ここ10年ほどは町の復興に目を向けられていて、教育に関しては手つかずだったのも影響しているのかもしれません。学びの機会や選択肢があまりに少なくて。

女川には大学生がいないんですよ。

ーーそうなんですか。大学もないですよね。

髙橋さん:ほとんどが仙台や都市部の大学に進んで一人暮らしをするので、女川にはほとんどいないです。さらに大学を卒業した人が働けるような職場がないので、大学卒業後に町に戻ってくる子もいない。まちとこスタッフのように大卒で働いている人は珍しいです。

芳岡さん:生まれ育ったこの町で生きていきたいと思っても、生活していけない可能性が大きい。戻りたいと思った子たちがちゃんと活躍できる場があれば、町の再生にも繋がると思うんですよね。高卒で就職する子も、待遇面だけを見て就職することが多いので、入ってみて違ったっていう不幸な結果が多いんですよね。そこでまちとこが関わって、地元の志高い企業の方と生徒を繋いで、この町で活躍できる若者を増やしていくことを考えています。

まちとこは、今後は町全体の課題にも目を向けて活動をしながら、卒業後に若者が活躍できる場を増やしていくということにも着手していきたいです。

放課後にまちとこにやってくる高校生たち。

女川で生まれた子どもたちには ある種の責任がある

ーー震災から間もなく13年が経ちます。女川向学館に通っている子どもたちの中でも、震災を経験していたり、経験していても覚えていなかったり、いろんな子どもたちがいらっしゃるかと思います。

髙橋さん:今来ている中学生は当時乳幼児だったので、記憶はほぼないですね。

ーー震災の話はしますか?

芳岡さん:どの生徒も大人たちから話を聞いたりはしているでしょうが、まちとことしてはそこも課題に感じていて。

ーー課題ですか?

芳岡さん:自分たちの町があれだけの被害にあって、何もなくなった状態からの復興という歴史もあるのに、そこで生まれ育った子どもが、震災のことを知らないで大人になっていくことが果たしていいことなのかなと。辛い出来事を、わざわざ子どもたちに認識させる必要はないという考え方もあるのかもしれません。でも僕は、この町で生まれた子たちにはある種の責任があると思っています。

震災直後の女川町。

芳岡さん:この町で起きたことをちゃんと理解して社会に出ていった方が、町の見え方が変わったり、ふるさとに思いを寄せられるようになるんじゃないかと。何より、自分の命をどう守るのか考えられる大人になってほしい。あの日町の人たちはどんなふうに自分の命を守って、次に同じ災害が起きたときのために何をしてきたのかを知って、自分の命や次の世代の命をどう守るのか、考えながら生きていってほしいです。

大川伝承の会の佐藤敏郎さん。津波でたくさんの子どもたちや教職員が犠牲となった石巻市大川小学校で今もかたりべとして活動をする。まちとこのサポーターとして生徒たちに震災や命を守るということを伝えている。

ーー大切なことですね。

芳岡さん:独立してこの町にずっと居続けるからには、東日本大震災以降に町で起きたことをちゃんと子どもたちに伝えていかなくてはならないと思っています。学校の先生が他の地域に異動してしまっても、僕たちはここにいるので伝えていけます。震災のかたりべとして活動を続けている方々もまちとこを支えてくれているので、貴重な資源を教育現場で活かさなければならないと考えています。

復興のその先へ 20年後も30年後も「おかえり」と言える場所に

ーー10年以上活動を続けてきて、何か成果は出てきていますか?

芳岡さん:どの視点で成果を見るのか難しいのですが、ただ一つ言えるのは、僕たちが子どもたちのそばに居続けることが、町の未来においても大切なことだと確信しています。

ーーそのためにまちとこは存在し続けていく必要があるんですね。

芳岡さん:そばにいれば、彼らが悩んだり、苦しむ姿も知った上で、成長を見守ったり応援できるので。ただ施設があるだけではだめですよ。そこに会いたい人がいるから子どもたちが集まってくる。学校だって、卒業後に知らない先生ばかりになってしまったら遊びに行かないですよね。

ーー大人になっても行きたい場所って、少ないですよね。

芳岡さん:そうなんですよね。ましてや被災した地域では、青春時代を過ごしたのは仮設住宅だったりするので、もうそのコミュニティは存在しません。女川は学校も新しくなって、そこを卒業したのは2学年だけです。かつて青春時代を過ごした学校もないんです。なので家族以外に、町の中に「ただいま」って言える場所があると帰る理由になるのかなって。

2020年に新しい校舎となった女川小中学校。旧校舎は震災で建物が破損したため、高台に移転して新設した。

芳岡さん:女川向学館は、いつでも「おかえり」って迎えられるようにここに居続けたいんです。12年ほど活動を続けてきて移転もありましたが、僕も含めて初期の頃からずっといるスタッフもいるので、帰省したときに顔を出してくれる卒業生もいます。そんなとき、「今誰がいる?」「俺が知ってる人いる?」って聞いてくるんです。

ーー約束なしにふらっと立ち寄れて、相談もできる場所があるって貴重ですね。

芳岡さん:何歳になっても不安や悩みは無くならないので。困ったら来て話をして、何かアドバイスだったりとか、少しでも助けになれたらいいなと。そのためには、僕らがちゃんと子どもたちから信頼されることが大事だと思います。この人たちだったら裏切らない、安心安全に迎え入れてくれると思えるから、社会人になってからも会いにきてくれるんです。

ーー信頼しないと悩みも言えないですもんね。

芳岡さん:そう。だからといって、甘やかすわけではなく、ダメなことはダメって言います。でもどうしてその子がダメなことをしてしまったのか、気持ちは理解したいと思うので、想像力を働かせています。どんな子でも否定をせず、コミュニケーションを取りながら解決していけるようにすることを大事にしていますね。

芳岡さん:そのために僕は、スタッフには余白を持って働けるようにしたいなと思っていて。仕事でタスクがいっぱいの状態で働いていると、子どもがフラッと来たときに話せないですよね。ごめん、ちょっと今忙しい、みたいな対応をしていると、子どもはもう寄り付かなくなってしまう。突然やってきたりするので、どんなときでも話を聞いたり声をかけられるようにしていきたいです。

ーー2031年にハタチ基金は活動が終了しますが、こうして被災地した地域に根付いて活動を続ける団体が存在することを心強く感じています。

芳岡さん:少しずつまちとこに卒業した若者たちが顔を出して、子どもたちと触れ合う流れができてきたので、次はどう町に還元していけるのかを考えていきたいです。まちとこを拠点に、世代が違う仲間の交流も生まれて、3.11に女川にいた人から震災の話を聞く機会も自然と生まれて。人と人との交流の中で、あの日から手を取り合って生きてきた地域の思いを次の世代にも繋げられるんじゃないかと思っています。

ーーまちとこを拠点に若者が集う場所になっていきそうですね。

芳岡さん:そうしたいです。女川町の復興は、すぐそこにあるクラフトビールのお店に夜な夜な大人たちが集まって飲みながら、ああだこうだ言いながら進めていった経緯があります。それと同じように、子どもや若者が集まって、自分たちの将来の話とか、町の未来について語り合う場をつくっていきたいなと。

芳岡さん:倫平(髙橋さん)は今子どもたちにすごく人気があるので、今後も人生の先輩としてそういった場での活躍も期待しています。

髙橋さん:そのためには僕もこの町に長く居続けるっていうことが大切ですね。あとはまちとこが存続できるように新しい施策を考えていかないと。

芳岡さん:継続的に運営できる体制をつくるために、僕たちも成長や変化をしていく必要がありますね。100年後も続けられるように、今から基盤をつくっていかないと。こうやって自分の団体の枠を超えて町全体を考えると、子どもたちの帰りたい場所をつくるためにはまだまだやることはたくさん。先は長いので止まっていられないですね。

石川県の能登半島沖の地震で被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。
ハタチ基金は震災直後から、東北の被災地域で子どもたちにより添い活動を行う団体に「助成」という形で支援を行ってきました。13年間の子ども支援の歩みが少しでも全国の被災地の方々にも役立てられますように。そんな思いを込めて、今も活動を続ける助成先団体のインタビューをお届けしています。

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