
2014.01.24

2026年度、新たにハタチ基金の助成先団体に加わった「けせんぬま子育てコレクティブインパクトプラットフォーム コソダテノミカタ」。宮城県気仙沼市を拠点に、行政や民間団体、市民がそれぞれの立場を超えて手を取り合い、地域全体で子育てができる社会を目指しています。
力を入れている活動の一つ「気仙沼こども商店街」。子どもたちが自分たちで企画して自分たちで準備から進めるこのイベントを通して、参加した子どもたちに“ある変化”が起きています。コソダテノミカタの渡邊 国権さんにお話を伺いました。

けせんぬま子育てコレクティブインパクトプラットフォーム コソダテノミカタ
渡邊 国権(わたなべ くによし)さん
神奈川県川崎市出身。2012年度、大学を休学して東日本大震災の学生ボランティアとして宮城県気仙沼市で復興活動に従事。その後、国際協力の分野に進み、南太平洋の島国サモアでのJICA海外協力隊での活動を含め、約8年間にわたり途上国の地域づくりや教育支援に携わる。現在は、宮城県気仙沼市に移住し、気仙沼市唐桑町を中心に小学生の放課後プログラムを運営する傍ら、「コソダテノミカタ」のこどもチームのメンバーとして、地域全体で進めるこどもの居場所づくりの事業に取り組んでいる。日々、気仙沼で子育てに励む一人の親として、また支援の現場に立つ人間として、子どもたちが失敗を恐れず、自分らしく挑戦できる環境を次の世代へ繋いでいきたいという想いを胸に活動している。
「けせんぬま子育てコレクティブインパクトプラットフォーム コソダテノミカタ」について
2021年より活動開始。「コレクティブインパクトプラットフォーム」を掲げ、単一の団体では解決できない複雑な課題に対し、行政や民間団体、市民がそれぞれの立場を超えて手を取り合い、地域全体で大きなインパクトを生み出すことを目指している。市民の声を行政や子育て支援者に届ける 「けせんぬま子育てタウンミーティング」や、地域の子育てに優しいお店を認証する「けせんぬま子育て応援店」などの子育て支援に取り組む。
2024年からはこども支援にも軸足を広げ、子どもたちが自ら考えたお店が並ぶ1日限定のイベント「気仙沼こども商店街」を開催。今年度からは、地域に点在するこども食堂や学習支援などの活動を、動画や記事で発信する情報発信事業をスタート。
子どもの自己有用感を低下させる「地域との繋がりの希薄化」
東日本大震災から15年が経過し、防潮堤などのインフラ復興は進んだ一方で、かつての密な地域コミュニティは崩れ、子どもたちが自由に遊べる場は今も減少したままです。特に震災後に建設された新興住宅地などでは、隣人の顔さえ知らない子どもも少なくありません。
震災当時に生まれた子どもたちは、中学生や高校生になりました。
私たちが現場で出会う子どもたちの中には、「地域に自分の居場所がない」「頼れる大人が 思い浮かばない」と感じている子も複数います。震災による人口減少やコミュニティの変化、少子化による学校の統廃合などが重なり、子どもたちを取り巻く環境は大きく変化し ています。
こうした「地域との繋がりの希薄化」は、子どもの自己有用感を低下させる要因にもなっています。だからこそ今必要なのは、単に困りごとを支援するだけではなく、子どもたちが安心して挑戦し、失敗し、誰かに頼ることができる関係性や居場所を地域の中に育んでいくことだと感じています。
想定外の失敗さえも肯定される経験を積む場「気仙沼こども商店街」
自治力の低下により地域の子ども向けイベントが次々と減っていくなか、ある子どもが「文化祭のように自分たちでお店を出してみたい」という声を上げたことをきっかけに始まったのが、「気仙沼こども商店街」です。
私たちは、学校教育の枠組みの中だけでは評価されにくい、子どもが個々に持つ「特性」を大切に受け止めることを心がけています。震災後、地域コミュニティの変化や地域行事の減少により、子どもたちが地域の中で役割を持ったり、多様な大人と関わったりする機会は少なくなりました。
そこで、「気仙沼こども商店街」では、子ども自身が店主となって企画から運営までを担う場を通じて、試行錯誤や想定外の失敗さえも肯定される経験を積む場を提供しています。大人が答えを与えるのではなく、子どもを信じて待つことで、「自分も地域の一員として役に立てる」という確かな自己有用感を育むサポートをしていきたいと考えています。

ハタチ基金の助成をいただいたことで、これまで資金面の不安から十分に取り組むことが できなかった子ども支援事業を、本格的に進められるようになりました。 第3回目となる「気仙沼こども商店街2026」では、子どもたちが挑戦するだけで終わるのではなく、その経験を振り返りながら学びにつなげられる仕組みづくり、支える伴走者の体制づくりやプログラムの整備を進めることもできるようになりました。その結果、7月から開始する参加者募集では、これまでより幅広い子どもたちに参加を呼びかけ、新たな挑戦の機会を届けることができるようになりました。
また、参加する子どもたちの保護者向けの座談会も同時開催します。子どもの「やりたい(主体性)」を大切にするために、大人が「信じて待つ」ための学び合いの機会を提供します。

「気仙沼こども商店街」という実社会での役割を持つ経験を通じて、子どもたちに変化が起きています。
学校に行きづらさを感じていたある男の子は、本番当日、用意していた商品が予想外に早く 完売するという事態に直面しました。しかし彼は、想定外の状況にも諦めることなく、その 場で新しい企画を急造し、最後まで商店街を走りきりました。翌年度、彼はその経験を糧に、同じように学校への通いづらさを抱える友人や年下のメンバーを自ら集め、チームをリードして企画をやり遂げたのです。失敗や想定外を恐れず、自ら考え対話して道を切り拓く「レジリエンス(回復力・ 適応力)」が彼の中に確実に育まれていると感じました。活動を通じて、子どもたちにとっての「挑戦のハードル」が下がっていることを実感しています。
また、この男の子は、商店街の企画や準備のプロセスで、学校や学年を越えたかけがえのない友人をつくることができました。自分たちの工夫でお客さんに喜んでもらえた経験は、 彼の中で「誰かの役に立てた」という強い自己有用感を育みました。これまで学校に行きづらさを抱えていましたが、小学6年生からは、自分の意志で再び学校へ通い始め、現在は中学校生活も元気に送っています。これは、学校という枠組みだけで評価されるのではなく、地域に頼れる大人がいると感じられたこと、多様な他者と協働する力を身につけた結果であると感じています。
「救われた」という温かな原体験が、時を越えて「支援の循環」につながる
震災後の気仙沼では、「子どもたちに思い切り遊べる場が必要だ」という想いを持ったボランティアや地域の大人たちによって、子どもの遊び場や居場所が数多く立ち上げられました。それらの活動は、15年が経った今も地域の中で受け継がれています。
現在、「気仙沼こども商店街」に関わっているある女性も、震災当時、自身や家族も被災し、家庭では「わがままを言わず、聞き分けよくしなければならない」と感じながら過ごしていました。学校の雰囲気にもなじめず、次第に不登校気味になりましたが、友人たちにも支えられながら少しずつ学校へ戻っていきました。そして社会人となった今は、震災後に立ち上がった子どもの遊び場づくりに参画しています。
かつて支援を受けた子どもが、やがて地域を支える担い手となり、今度は次世代の「ミカタ(味方)」になる。震災後に育まれてきた子ども支援の営みは、一人ひとりの成長を通して、確かな「支援の循環」となって地域に根づいています。

未来を担う子どもたちが、自分らしく生き、地域の中で希望を持って挑戦できる社会をつくるために。これからも継続的な支援が必要だと感じています。 今後ともよろしくお願いいたします。