ハタチ基金の支援団体の一つであり、この6月に団体設立4周年を迎えた公益社団法人チャンス・フォー・チルドレン(以下CFC)のブログより、代表理事の奥野からのメッセージをご紹介します。
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https://cfc.or.jp/archives/column/2015/06/20/10611/ (外部サイトへ移動します。)
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(一部抜粋)
東日本大震災発生の4日前、東京の居酒屋で今井と奥野が3年ぶりに再会した時から話は始まります。当時会社員だった今井は、「会社を辞めて何か事業をやりたい」と言い、当時フリーターだった奥野は、「何か一緒にやろうぜ」と言い、同席した能島理事は「やれやれ」と言い、本当に3ヶ月後にCFCを共に起ち上げることになります。
こんな偶然が重なった僕らの始まりの場所は、元仙台事務局のオーロラビルでした。今井、奥野、雑賀(元共同代表)の3人は、ふすま1枚で仕切られた部屋で共同生活を送り、リビングは時に食堂、時にミーティング会場となり、昼夜を問わずこれからのCFCについて話し合ってきました。
あれだけの震災を受けた子どもたちに何ができるのか、右も左も分からない若者3人は、もがきながら日々奮闘していました。
当時の僕らにとって重要だったのは業務時間を増やすための時間短縮。そこで重宝されたのが乾燥機付き洗濯機。しかし、これはあり得ないぐらい服が縮む代物で、伸ばすために逆に時間が掛かるという最悪の結果を生みます。そして、寝ないために今井がやっていたのが栄養ドリンクの一気飲み。しかし、これは手が震えてパソコンが打てないという逆に時間を浪費するものでした。
そんないくつもの壁にぶつかりながら、僕らの活動(生活?)は始まっていきます。
CFCの仕組みで不可欠なのが、クーポンを取り扱ってくれる事業者の存在。当時の東北の事業者は、自らも被災し、何とか営業を再開したという所がほとんどでした。
既にクーポン利用者を募集しているにも関わらず、クーポン取扱事業者は0。絶望的な状況で、今井を中心に東京の塾の本部や仙台・石巻の事業者さんに直接お会いして活動を説明し、何とか協力してほしいと頼み続けました。
そんな中、「僕が第1号になるよ」と言ってくれたのが、仙台で塾や家庭教師を展開するアップル(株式会社セレクティー)の畠山社長。自らの教室も被災する中、子どもたちの役に立ちたいと承諾してくれた時は、本当に涙がでるくらい嬉しかったのを覚えています。
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